2015年5月21日 (木)

「相撲絵、昔も今も人気の大相撲」展

 柏野さんからの情報。

 野田市の茂木本家美術館で「相撲絵、昔も今も人気の大相撲」展が5月13日(水)から6月27日(土)まで開かれている。月・火は休館。キッコーマン醤油のお家。

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2015年5月18日 (月)

月の森

 三雲町中林の光輪寺に墓がある月の森について、ずいぶん昔、町史編纂の方から「東海の相撲史」第7号に載っている広幡神社の板番付の一つに年代不明の番付があり、「関脇 月の森」とある力士との関係は?と尋ねられたことがある。

 墓地の左奥にある自然石の大きな墓を見に行ったことがあり、昨日三重県立図書館で「三雲町史」を見る。明治八年の相撲興行願が収録されていて、願い主に「雑業 辻房吉」とある。月の森の本名である。

 菰野町広幡神社の板番付にある月の森は大阪相撲の月の森亀吉。

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2015年5月15日 (金)

加賀田八幡宮と堺の豪商

 「河内長野市郷土研究会誌」第五十七号をいただく。 

 会員の方々の研究にいつも感心しているが、今号は「加賀田八幡宮と堺の豪商」に心を惹かれた。社殿の修復になぜ遠く離れた堺の人が?という疑問を寛永から享保、さらに寛保にかけていろいろな史料にあたって考察、解明していく。

 京の清水寺念仏堂に仏天蓋を建立、祇園社に燈籠を献上も。

 他に、「明治時代の河内長野の商工・観光について」、「西国三十三度行者の満願供養とその供養塔」、「鬼住村研究 中世・室町時代 惣村・鬼住惣の時代」など。

 

 

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2015年5月10日 (日)

葛城市相撲館

 葛城市相撲館からしばしばいろいろな催しの情報をいただく。

 田子の浦部屋の合宿、若ノ里関の奇跡の一本松、白鵬のミニ優勝額、相撲漫画展、地元の方が作られた横綱、宿禰・蹶速相撲甚句交流戦、名誉館長菊水丸、豊真將の引退記念写真、協会グッズの販売、相撲風の野球番付、開館25周年記念土俵ケーキ、その他いろいろ。

 5月14日は當麻寺での練り供養の日、たくさんの人でにぎわうが、この日の近鉄ハイキングに相撲館けはや座もコースに入っている。

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2015年4月30日 (木)

「播磨と本願寺」、そして響灘

 姫路での巡業の折、名古山霊苑で柏野さんと出会い、響灘立吉の墓を見てもらった。なんかいっそう見えにくくなっている感がする。

 兵庫県立歴史博物館で「播磨と本願寺 ー親鸞・蓮如と念仏の世界」展が催されていたが見逃してしまった。響灘の墓も戒名から推して浄土真宗の寺院にあって、戦災で寺が被害にあったものと見ている。

  亀山の本徳寺で盛大な葬儀が行われたのではなかろうか。

 なお、「江戸時代相撲名鑑」に、如意輪寺の墓地に……とあるが、墓地ではなく、お参りに来る人のために寺への登り口に地域の人たちと建てた消闇灯である。

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2015年4月27日 (月)

善水寺、そして観音寺

 湖南市岩根にある善水寺の秘仏が十四年ぶりの御開帳。甲西駅から磨崖仏にも出会いながら山道を行く。

 地元の方、檀家の方が奉仕されていて、案内していただく。ご本尊は「薬師如来瑠璃光如来」、そして脇に十二神將らが祀られている。すべて重要文化財に指定されている。

 「百伝の水」(善水元水)をいただく。五十メートルの地下より汲み上げた霊水。

 元気をもらって下山、夏見の観音寺に行く。墓域は更に拡張されて、林の向こうにも新しい墓域が見え、整地されて利用されるのを待つ場所もある。

 旧梅田墓地から移された湊代々は五基(六基の内一基は力士にあらず)が地蔵が並ぶところにまとめておかれていたが、立神盤右衛門だけが少し右に行ったところにさびしげに置かれていた。ありがたいことに、いずれもくっつけて置かれてないので側面も読み取れる。

 大阪の清水寺にあった無縁墓ももしやここに、と思っていたが……。

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2015年4月26日 (日)

播磨奇人伝

 「播磨奇人伝」を見る。慶応二年頃に陰陽家で歌人の宇都宮大潔が記した播磨國の文化人を220人余り紹介していて、2006年12月に「播磨学紀要12」に載ったのを単行本として播磨学研究所から刊行された。

 相撲関係は二人か、うーん、なるほど。

  岩田書院の図書目録2015が届き、「播磨奇人伝」は品切れとあった。二人の名を明かせば小野川秀五郎の父と土山の高砂浦右衛門。

 

 

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2014年11月15日 (土)

白浜与四郎

 平成二十一年に草津宿街道交流館で「街道を行く力士たちと近江の相撲」展が開かれた折、学芸員の方から瀬田橋本野畑墓地の白浜與四郎の墓が見つからないとお聞きして見に行ったところ、やはり消えていた。

 朝日新聞デジタル福岡・北九州版2014/10/30に、苅田町神田町木実原神社南の墓地に「関取 白浜与四郎之墓」「三芳野八十八碑」「頭取 稲荷山甚五郎之墓」の三基があり、稲荷山が幕末の百姓一揆に加わった話が紹介されている。

 白浜与四郎ってもう一人いたんだ。それともこちらに移された? 訪ねてみたいものだ。

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2014年10月15日 (水)

鐘之尾

 「大和馬見町史」に大塚に鐘之尾卯吉墓(元治元年二月十三日 釈照鐘 門弟中)が紹介されているが、未発見。前名源氏山で池尻の初瀬山、新庄の住ノ江と競ったという。初代鐘之尾は高田の龍王山で、源氏山は二代目とある。

 12日大和高田市でのハイキングで初代が見つかった。高田城址に隣接する常光寺で、正面「鐘之尾重蔵墓」、左面「一譽蓮心禅定門」、右面「文久三亥年九月十八日」、台石「門弟中建」とある。

 鐘之尾卯吉は二代目を継いで五ヶ月ほどで亡くなったことになるが、バトンタッチは生前であったかもしれない。番付で確認したいものである。

 常光寺には高田城主當麻為長や八百屋お七のモデル志ちの墓がある。當麻はタイマでなく、トウマ。

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2014年9月30日 (火)

「まほろば」73号、そして「地名フォーラム」38回

 石田天祐さんから『まほろば』73号をいただいた。

 「相撲史研究ノート(七)」は明治二十年の三府集会相撲で、四条河原で行われた番付をもとに、当時の世相を語っている。 華ノ峰善吉、磯風音治郎、常陸山虎吉などが登場。

 京都地名研究会第38回『地名フォーラム』の案内もいただいたが出席できなかった。その折の石田さんの講演要旨をもいただいた。

 テーマは「八幡信仰と地名伝承」で、八陣信蔵の「八陣」がとりあげられている。唐代の軍事用語で、軍隊を八つに分け、八流の幡を立てて敵軍に対処した陣立てで、「八幡」は八陣に立てた八流の幡。

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