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2006年6月19日 (月)

「千葉の力士たち」を見る

 18日7時40分予定きっちり佐原着。雨の予報だったが、幸にも止んでいた。

 まず2万5千分の1の地図を取り出し、諏訪神社の鳥居をくぐる。すぐ右手に西関戸区の墓地、ここに山車新造と刻んだ記念碑があるが、相撲取りでは無さそう。多分佐原ばやしの山車を新造した記念碑であろう。神社の入口の公園には伊能忠敬の銅像が建っている。

 諏訪神社の裏へ出て、市営球場を右手に見て荘厳寺の墓地を見る。次いで法界寺の新墓園、ここから急傾斜地の危険表示がある墓地を下り、法界寺へ。ここにも旧来からの墓地がある。情報産業立国の祖北川宗助の墓があったが、天保の資料に見える香取山松蔵の墓は見つけ出せなかった。法界寺の近くが出身地佐原下新町なので入念に見ていったが収穫なし。香取姓の墓は多かった。

 あきらめて伊能忠敬記念館へ。旧宅にあった記念館が新しく小野川を距てた所に建てられていた。忠敬もえらいが、それを支えた人たちがいて先に倒れて亡くなったりしていたことなど、改めて認識、地図は好きなので丹念に見て回った。判じ絵の地図もあった。

1151517_img  じゃーじゃーと音が聞こえる。すぐそばの樋橋(とよはし)から水が流れる音だった。今は人間も渡れるようになっているが、小野川の上を本宿側から新宿側へ灌漑の水を送るために架けられたと説明板にあった。土地の人たちは「ジャージャー橋」と呼んでいて、日本の音百選に選ばれている。ずっと放水されているわけでなく、わたしはいい場面に遭遇したわけである。

 佐原の町並みは小江戸といわれ、古い建物を保存している。酒屋、本屋、そば屋などなど。町並み交流館で佐原張り子の三浦屋の場所を聞く。売っているところも造っているところも相撲の張り子は残念ながら置いてなかった。交流館には2点展示してあったが。

1151521_img  香取神宮まで約2キロを歩く。みやげ物屋が次々に差し出すだんごなどを朝食代わりに本殿へ。本殿向かって右にさし石が3個あり、一つは緑色をしていて緑石と刻んであった。

 佐原へ戻って銀行の跡にあるそば屋へ行ったが満員、観光バスで来ている人が多くどこも込んでいる。しかたなく駅前まで戻り、最近できたらしい創作和食の店でようやく食事、とてもいいお店。

1151522_img  雨が降ってきた。午後1時15分の直行バスで市立水生植物園へ。降りた人たちと別れてただ一人千葉県立中央博物館大利根分館へ。中は満員、アヤメ見物を終えた人たちがここへも来ていたのだ。

 観音の帰属をめぐって争い、相撲で決着をつけたという八筋川区の相撲。延方相撲の発端に似ている。「十三枚本世散」という相撲膏も初めて知った。相撲入用帳など草相撲や神事相撲の史料が多く展示されているのも見所だ。

 立派な図録も出ていると聞いていたが、見本しか置いてなかった。尋ねると部数が少ないので展示が終わり次第抽選、当たった人たちだけに送るので名前・住所を書いてくれという。

 どうぞ当たりますように!

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コメント

 抽選の結果、貴方は当選されましたと、図録が送られてきた。
 番付の解読が行われていること(疑点が目につくが)、草相撲や神事相撲の写真、記録が豊富で、非常にありがたい図録である。

投稿: 竹ヶ戸 | 2006年7月 2日 (日) 08時42分

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