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2006年9月30日 (土)

豊岡市の相撲史跡 その2

 旧竹野町では鷹野神社で相撲甚句が少人数ながら続けられている。『竹野町史』民俗文化財資料編に『相撲の民俗史』の著者山田知子さんが調査された結果が載っている。『竹野郷外史(1)』にも力士碑、相撲甚句由来が載っている。

 墓碑は賀島に下り枩荘兵衛(文久三年建)、龍海寺に賀島嵜勘三郎(明治十五年建)。

 旧日高町に荒浪塚。大正九年歿で、福岡県柳川の出身らしい。未見。

 旧出石町に白川塚が二基。如来寺にある白川塚は田結社町の嗣子が建てていて、台石に、京都朝男山内 頭取 ヘンサカ清水川重二郎、イヅミ白雲伊助他7名、行司4名、力士50名が地名とともに刻まれている。この墓も貴重だ。

 二代目白川塚は宗鏡寺(スキョウジ)にあり、明治四十四年九月建立、清水伊助事 行年七十才などとあり、初代墓に名のある白雲伊助の襲名かと思われる。

 桐野に早川碑があるらしいが、未見。

 『出石町史』資料編に相撲興行記録があり、また、「御用部屋日記」が収録されていて、勇取長蔵が文政から天保にかけて、しばしば勧進元を勤めている。京阪の相撲番付にもその名を見るが、墓は未発見。

 旧但東町には佐田の大貝橋付近に早瀬川碑があると、『但東町史』に載っているが、未見。出石町寺坂の早川の弟子とある。

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