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2006年9月 8日 (金)

鉄ヶ谷長吉と御崎川金之助

 『ふるさと散歩 湖陵』という冊子が出ている。今は出雲市になったが、湖陵町の郷土史について記されている。その第6号(昭和51年5月発行)に「鉄ヶ谷使用の明け荷」、以下第7号、第12号、第15号に鉄ヶ谷長吉について調べた結果が載せられている。

 明治4年の本人箱書き「鉄岩」とある写真鏡と「鉄ヶ谷 長吉」と書かれた明け荷があるそうである。 花谷さんを通じて、番付面での位置を調べてもらいたいとのことで大坂番付の慶應3、4年に鉄ヶ谷、明治5年に鉄岩の名を下位に見つけて報告した。“この位置の力士も高く評価しています”と附記したら、このことばが『湖陵』の記事にも載っている。なぐさめでもなく真実そう思っている。

 御崎川金之助の供養墓写真が15号に載っている。見にくいが、自然石の正面中央に「頭取御崎川金之助」、その右に「弘化四丁未年」、左に「日本上松府御船屋大野氏」とある。16号に補足があるが、大坂相撲の頭取名になく、年寄名として聞き慣れない名と書かれているが、雲州藩の頭取である。

 『島根相撲史資料集』の「雲州頭取系統表」に御崎川太市の後頭取を務めている。太市の後大野家も継いで頭取となったことがわかる。

 神西沖町との境に供養塔が建っているようなので、訪ねてみたいと思っている。菩提寺は御崎川太市が葬られている松江の誓願寺であろう。

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