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2006年9月 2日 (土)

出来山和市の名に愛着心

 出雲市の平田薬師では9月10日に平田薬師地区対抗相撲大会が開かれ、中学生の優勝者には「出来山賞」が渡される。この賞はこの地の出身出来山和市を顕彰するために平成10年の第18回の大会から設けられた。

 平田薬師瑞雲寺の山門を入ってすぐの左手に出来山和市の大きな供養碑がある。背面に「当地産出来山和市改八陣改竜ヶ峰柳太夙出大阪相撲道小野川秀五郎門弟以剛勇博名安政五年十月廿九日歿行年三十四此碑元在地大正十一年十月甥岡栄之助移再建此処 本間泰三郎誌」とあり、台石に鳴滝倉吉らの名がある。

 出来山は上方での最初の名乗りで、江戸では嘉永3年11月出来嶋で登場(年寄名跡出来山に遠慮したためか?)、すぐ師名の八陣を名乗り、同6年2月姫路頭書となって竜ヶ峰柳太と改めている。安政5年の『金剛伝』の竜ヶ峰の項にも「はじめ出来嶋後に八陣大坂小野川門人江戸にてハ追手風の門人二段目へ附いだす」とある。だが、『江戸時代相撲名鑑』はこのことを見落としたのか、八陣と竜ヶ峰が別人になっている。

 それにしても竜ヶ峰の名で最高位の二段目筆頭まで昇ったのに、地元では出来山の名に愛着心を込めているところに感心する。小野川に入門する前からの、ふるさとでのしこ名であったのだろう。

 年寄名跡出来山とは関係がないが、地元では現出来山親方(出羽の花)の色紙などを渡したりして、今なお継承されている名だとしているところが残念。

 安政5年11月の最後の場所はコレラがはやって興行が行われていない。宝川石五郎らがコレラで亡くなり、他にもこの場所限りで名が消えた力士が多い。竜ヶ峰もその一人なのだろうか。

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