« 新温泉町の相撲史跡 | トップページ | 豊岡市の相撲史跡 その2 »

2006年9月29日 (金)

豊岡市の相撲史跡 その1

  旧香住町、美方町、村岡町が合併した香美町は未調査。資料に出くわさないが、歩けば力士墓碑が見つかるに違いない。

 平成12年日高町で開催の大相撲但馬ドーム場所の際に作成された『但馬の相撲のこった!のこった!』というパンフと『但馬の相撲資料一覧』を相撲博物館からいただいたが、それには現在も残る神事相撲、墓碑、化粧廻し、行司装束や軍配などが紹介されている。

 豊岡市には田結(タイ)に碑があり、化粧廻しが残されていることがわかる。

 田結は日本海に面したところ、城崎温泉駅からタクシーで向かう。墓、震災記念碑など見て回るが、見あたらない。西光寺の中にもなし。住職にお聞きする。車に乗ってきたため通りすごしてきたらしい。昼食中だったにもかかわらず、ご親切に奥さんが案内してくださり、途中地域のことを調べている人の家にも寄ってくださったが、残念ながら留守。そして墓のあるところへ。

 墓の主は時ノ浦六右衛門。旧墓が右に、左手に新しく5人の名を加えた大きな自然石の墓碑。

 二日後、住職夫人から田結のことを調べている高家正夫さんが書かれた『公民館だより』の「勇城の」と「時ノ浦」の記事が届く。時ノ浦は寛政5年生まれ、明治6年81歳で歿。そして、時ノ浦子孫井上宅に残る化粧廻しの写真が同封されていた。

 すばらしい図柄、網にかかり羽がちぎれている鷲を猿が助けている。左甚五郎の彫刻に激流に落ちた猿を鷲が救っているのがあるが、その恩返しか!

 勇城の碑がある津居山にも当日足を運んだが、気がつかず、手紙でわかった。

 城崎町も豊岡市になった。本住寺の無縁墓に自然石の三吉乃墓、台石に湯島住、本名佐藤新六などとある。明治初年の京都番付に三吉の新六(新七)の名が見える。立田川部屋。温泉町の勇灘など、この地域は京都相撲立田川の勢力範囲。

 

|

« 新温泉町の相撲史跡 | トップページ | 豊岡市の相撲史跡 その2 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/84424/3629614

この記事へのトラックバック一覧です: 豊岡市の相撲史跡 その1:

« 新温泉町の相撲史跡 | トップページ | 豊岡市の相撲史跡 その2 »