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2006年9月27日 (水)

新温泉町の相撲史跡

 のじぎく兵庫国体の相撲競技は南あわじ市文化体育館で10月1日から4日まで行われ、デモスポ少年相撲が10月1日に南あわじ市榎列府中八幡宮相撲場と浜坂町民相撲場で行われる。

 浜坂町は温泉町と合併して新温泉町となった。浜坂温泉、そして夢千代日記で有名な湯村温泉がある。

 湯村温泉のバス停近くに、勇灘傳次郎、陳ヶ岡甚五、宮松力蔵、寶山の四基がある。いずれも江戸時代末期の力士で、明治七年九月建立の京都立田川門人勇灘の台石には二方郡弟子百廿人、七味郡弟子四十一人とあり、頭取、世話人、若者頭二十八人の名がユムラ、ヲッサカ、タケダ、イイノなど地名とともに刻まれている。貴重な墓碑である。

 湯村から西の千原には両国梶之助の供養墓(明治九年建立)がある。両国は鳥取藩抱えの力士で宝永五年正月廿四日歿、生地宝木に墓と供養塔がある。この地にあるのはけがをして滞在、その間村人に骨接ぎの秘訣を伝授したという(「相撲」昭和57年7月号82ページ参照)。

 湯村から南、飯野の巌山寺に丹土出身の岩石七之助の墓がある。浜坂町の妙見山麓にあったものを移した。寛政4,5年江戸番付四段目、京、大坂では文化二年まで上取りに名がある。

 巌山寺では8月24日の地蔵盆に神事相撲がある。赤いはちまきと腹当てをした十歳までの子が力士に抱えられ四股を踏んでもらうという。町の無形文化財。未見。

 岩石の墓を建てたのは飛鳥野勇七で、文政十一年四月十九日とある墓が浜坂町真鍬崎にある。二代目の飛鳥野勇七の墓は弘化四年建立で、芦屋にいたる三叉路に飛鳥野熊五郎墓(大正二年建)と並んで建っている。

 このほか浜坂には渦ヶ森平九郎(文政四年)、鬼角一郎兵衛(文久二年)、和泉川文治郎・政勝粂七(明治十年)、仲碇清七(明治三十一年)、千歳松忠左衛門(明治三十一年)、浜嵐助蔵、浜港兼吉、源氏山源五郎などがある。〈「浜坂町史」参照〉

 両国も岩石もここに墓があることを最初に教えてくれた人は、神戸市の沢田幸男さんという石造物研究家。神戸市の鵯墓地を小池謙一氏とわたしを案内してくださったのもこの沢田さん。長田区にお住まいだったが、大震災で家も史料も失われた。震災直前に魚崎に大木戸森右衛門生誕地の碑を建てておられる。

 浜坂には町民相撲場があり、株建相撲道場があり、大相撲にも三力士が活躍中。板番付2点が昭和の巡業番付ではあるが、文化財に指定されており、平成九年には「浜坂の相撲展」も催されている。

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