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2006年10月15日 (日)

大阪頭取二瀬川勇蔵?

 鳥取市青谷町山根に大阪頭取二瀬川勇蔵の碑がある。前から気になるので見に行く。

 青谷駅からタクシーで河原まで南下。相撲取りの墓を見に行くと言えば、大概の運転手が墓地ですか、と聞く。いや道筋にあると思いますよ、あっあった! 運転手は急停車、いやとにかく先まで行ってください。戻りに歩きながら調べますので。あっ、またあった。へぇー、毎日走っているけど、全然気がつきません。よう判るんですな。

 といった会話はいつものこと。河原は因州和紙の発祥地で、石組みの立派な元祖の碑がある。その前で降りる。山根に「あおや和紙工房」があるので訪れたが、作業は昼休みで見られず、パソコン用の和紙を買い、食堂で腹ごしらえ。

 12時半出発、まず二瀬川。確かに正面に「大阪相撲 二瀬川勇蔵」とある。背面が「昭和三十一年四月二十七日 二瀬川追善 出羽海部屋一門 千代の山栃錦一行 門人一同 昭和三十一年十一月八日建之」とある。地元出身の頭取二瀬川の追善相撲を催し、その上がりで碑を建てたことが判る。その際、二瀬川なら大阪だろう、という話になったのであろう。

Photo_16  北上して、左手に入ったところに熊ヶ瀧由平と熊ヶ瀧和七(文政十二年丑九月廿七日)、早牛に和歌山直三郎(明治七年戌十一月)。飛行機雲が流れていい風景になったのでパチリ。

 蔵内橋を渡ったところに地蔵六体を挟んで、藤縄庄兵衛(嘉永七年寅七月十日)と藤縄善五郎(明治廿五年壬寅六月)、途中浪曲家の碑もあって、三時青谷小学校近くのなとり川平右衛門、海岸に沿って西へ、長和瀬共同墓地に栄松夫婦墓。

 他にもあるはずだが、8基を確認して泊へ向かう。5時半、郵便局員に会ったので聞くと駅より先の道路をくぐる手前にあると言う。もう暗い。辛うじて玉乃龍利七と一守惣吉(文化十二乙十二月十(以下読み取れず)を確認。沖ツ浪勇吉はあきらめた。

 5時間余の行程、途中墓のメモをとり写真を撮る以外はひたすら歩き続ける。

 

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