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2006年10月21日 (土)

鴻池新田会所の「村相撲の風景」展を見る

 展示は乾蔵で行われていた。板番付、化粧廻し、部屋連名板、襲名披露に配られた品々など、そして頭取襲名披露の記念写真など珍しいものの展示が目を引く。産経新聞の昭和50年6月20日の河内相撲の回顧談、そしてビデオがおもしろい。

 子どもたちの相撲の後、御幣を披露、そして大人たちの相撲。押し出し、寄り切りといった相撲ではない。足技、投げ技のめまぐるしい攻防、昔の人たちの相撲はおもしろかった。初っ切りはプロの人たちのものであった。今と内容はあまり変わらない。

 頭取たちの墓碑は頭取を引退した折の記念相撲の上がりで、弟子達が建てているのであるが、鴻池会所の調査で、新頭取が先代頭取の名を彫った墓の竿石を作り、先代は亡くなるまで自宅の玄関先に置き、亡くなってから墓地に持っていっていることがわかった。竿石と台石の石質が異なっているのもそのためだと別所学芸員からお聞きした。

 学芸員と話しているのを傍らで聞かれている方が、「わたしの家内の先祖が力士で、東住吉区桑津の京伝寺に袖の海音吉の大きな墓がある」とおっしゃった。「相撲の史跡5」を持っていたので見てみたが、京伝寺については記載がない。一度見に行ってみますと答えて会場を後にした。どうも聞いた名だと気になって、帰りの電車の中で今一度東住吉区を見ると、北田辺1丁目の桑津墓地に「朝日山内袖之海音吉」があることが判った。別にもう一基家としての墓があるようで、近々訪ねてみようと思う。

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コメント

 京伝寺に袖之海音吉の墓はなく、桑津墓地のことをいっているのではと、そこも探したが、以前あった墓はなくなっていた。
 袖之海は安政から明治三年にかけて大阪番付世話人に名が見え、明治四年に建てられた墓の台石には田辺から生野区にかけての門弟たちの名が連なっていた。

投稿: 竹ヶ戸 | 2006年12月 3日 (日) 22時10分

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