« 四角い土俵再現 | トップページ | 名月は雲隠れ »

2006年10月 5日 (木)

養父市の相撲史跡

 旧八鹿町は『八鹿の碑文』(小田垣義雄著)に、力士浅の川、朝日灘善右衛門、朝日野貴代三郎、石山惣七、そして日高町に移された荒浪、行司木村粂治郎碑、そして板番付1枚が、その所在地、墓碑の寸法、歿年あるいは建立年、聞き出した挿話、血縁者など写真とともに紹介してある。

 旧大屋町については、花筏さんから「大屋町内の力士塚」のコピーをいただき、力石研究家の高島慎助さんからは都石塚について写真などいただいた。

 コピーの方には大鷹、桜潟、錨綱、虎林、都石の5基の所在地、年月などが記されている。

 これらは樹齢1000年という樽見の仙桜を見がてらに訪ね歩いた。

 都石塚については、隣に門弟一心、宮ノ川、嵐山碑があり、台石に“都石 門下揃いて 里の秋”の句が刻まれているので、まえに開設していたホームページ「相撲の史跡」で紹介した。

 旧養父町には養父神社の北階段登り口に都方(明治十一年)、上藪崎観音堂に都石(明治十三年)。他に、ひとえ坂に廣勇ともう一基、石ヶ坪に二基、畑乙屋に二基、三谷に一基あるようだが未見。

 奥米地にある水谷神社のネッテイ相撲は町の無形民俗文化財から平成15年には国の選択、県の指定を受けた、珍しい、貴重なものである(「相撲」昭和58年2月号参照)。

 

|

« 四角い土俵再現 | トップページ | 名月は雲隠れ »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/84424/3700668

この記事へのトラックバック一覧です: 養父市の相撲史跡:

« 四角い土俵再現 | トップページ | 名月は雲隠れ »