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2006年10月14日 (土)

朝来市の相撲史跡

 旧和田山町竹田の表米神社にある相撲桟敷は土俵を囲んで半円形に六段の石積みから成り、正面には舞台もある。座席割図などの文書も残り、昭和39年兵庫県の文化財に指定されている。

 筒江というところには「関取千両幟」の鉄ヶ嶽半右衛門のモデルといわれる鮫造の話が伝わる。

 旧山東町は未調査。

 旧朝来町は現地で聞くうち、郷土史家椿野秀男さんが「朝来町商工会会報」(昭和60年3月)に“角力取りの碑”を書いておられることを知り、お会いして資料をいただく。

 神子畑に虎勇碑(明治25年建)、奥田路に小松山武兵衛(明治12年建)、家之地(エノジ)九郎右衛門(昭和51年建)、羽渕に荒猫房吉(大正13年建)、荒馬弥右衛門(大正13年建)、豆枝弥兵衛(大正5年)、元津に雲龍鹿蔵(明治24年建)、元岩に若林勘助(明治18年)、新井に枝ヶ崎源三郎(明治13年)、立野に立川柳三郎(大正11年二代目立川百蔵建)、多々良木に男石彌平(昭和4年)の11基。

 山口小学校の前にある荒猫房吉は右面に西京朝男山門人とあり、明治22年から31年にかけて京都番付に名が見える。

 雲龍鹿蔵塚は西垣家墓地にあり、別に夫婦墓があって、明治廿一年三月廿一日鹿造とある。嘉永年間京都番付中相撲に「但馬 雲竜鹿之助」の名を見る。西垣家には地元で雲龍が勧進相撲をしたときの番付が残り、一行の頭取に立田川勝太郎の名がある。晩年は橋本(現八幡市)に住まい、そこから郷里に宛てた手紙も残る(『朝来町史 下巻』参照)。

 旧生野町には円山の大師堂脇に勇灘塚。右面に明治八年三月、左面に頭取足立勝右衛門とある。

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コメント

はじめまして。
兵庫加古川のやまあそといいます。

ちょっと調べものをしていて
検索しているうちに
こちらにたどり着きました。

相撲にはさほど興味はないのですが、
よく相撲取りの墓石には出会います。

たまたま私のHPにアップしたのが
こちらにも記述がありましたので
コメントさせてもらいました。
よろしければごらんください。

投稿: やまあそ | 2007年11月24日 (土) 15時17分

 コメントありがとうございます。
「やまあそ」拝見、奥段が峰にある小松山武兵衛墓、わたしは実際に訪ねて行っていないので、峠近くにあるのを興味深く拝見しました。
 古法華寺近くの相撲取り墓も気になっていますので、こちらは近々見に行く予定です。

投稿: 竹ヶ戸 | 2007年11月26日 (月) 07時06分

古法華近くの墓も
ご存じでしたか!

私も古法華近くで2カ所ほど見た記憶があります。
どこかにそれの資料があったように
思って、探しましたが出てきませんでした。

投稿: やまあそ | 2007年11月27日 (火) 18時46分

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