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2006年10月16日 (月)

三江に八幡山馬之助の墓碑見えず

 倉吉駅を9時15分発のバスで三江下車、『因伯の大相撲力士たち』(北条歴史文庫)に、「倉吉市三江出身で、墓は村はずれの旧道沿いにある」という八幡山馬之助を探すが、見あたらない。人を見つけては聞き、寺へ行っては聞き、小さな社も探し、なんども往復、細い道も歩いたが、見つけ出せなかった。

 国府川近くの墓地に吉乃川、尾田へ行く道にあると教えられた嵐山榮吉(明治三十五年十月一日)の二基を確認して、尾田から山道を中田に抜け、小鴨へ向かう。

 今日は疲れと、空しさとでスローペース、早12時を過ぎる。コンビニとてなし、2時小鴨市場の香岳寺へ着く。ここが鶴ヶ浜亀吉の菩提寺。寺内の墓地に鶴ヶ浜の墓は見あたらず、住職に聞く。住職「あんなに大きいのに気がつかれませんでしたか?」「はい、いったいどこですか?」「国道のバス停の真ん前ですよ」

 それはそれは大きい巨石が何段も組み合わされたものだった。裏から山越えで来たために気がつかなかったのだ。それに、墓は整理されて丸田家の墓になっており、鶴ヶ浜の墓は片隅にあると花谷幸三さんから聞いてはいたが、碑のあることは知らなかった。

 碑のある墓地に丸田家の墓はなく、後方に見える墓地へ向かう。市場墓地、ここに墓があった。

 鶴ヶ浜は倉吉市で出世披露の興行を目前に、明治38年10月8日亡くなった。10日の初日死は秘され、朝汐との取組が発表されている。地元の人はどんなに悲しんだことであろうか。

Photo_17  北条町歴史民俗資料館の方からは、小鴨に濡髪が二基、名取川も二基あると聞いていたが、時間もなく、住職も知らないというので、引き揚げる。

 倉吉の打吹公園前の琴桜碑と像を見る。傍らの駐車場までが「琴桜駐車場」であった。

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コメント

 記録の玉手箱さんから、その後倉吉市小鴨を訪れ、国道沿いに濡髪二基、名取川二基を見つけたとのメールをいただいた。

 

投稿: 竹ヶ戸 | 2006年10月26日 (木) 07時31分

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