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2006年11月 2日 (木)

布袋さんは角柱だった

 射水市の越中大門駅から西へ、老舗の菓子屋さんなどもあちこちに見られる古風な街道、庄川の手前の道を南下、工場が並ぶ土合(どあい)に着く。この道筋ではないように思えて左折、住宅が切れて畑地になった途端、二基の石碑が見えた。例によって霊が呼んでいる。

1161660_img  畑地の中の二基は南を向いていて、左の角柱が勇木戸作左衛門、右は判読がむずかしい自然石、『大門町史』で正面中央に大きく「南無阿弥陀仏」、その左脇に「間土山宇兵衛」とあるらしいことがわかる。

 勇木戸も正面は「南無阿弥陀仏」、左面に「勇木戸作左衛門」、右面に「明治四十三年十一月建之」、台石正面に「発起者 土合四ヶ村 総連中」とある。

 勇木戸ははじめ京都相撲で勇木野作太郎、明治38年から大阪の朝日山部屋に移って勇木戸作右衛門、39年から作左衛門。遊芸が得意で、中でも布袋腹でのドジョウすくいが喝采を博した。ふだんから脚気病で42年12月20日巡業先の備後福山で亡くなった。

 本墓を墓地で探そうとしたが、すべて新しく建て替えられており、どの墓も正面に「南無阿弥陀仏」、台石に「○○家」とあって、先祖一人一人が刻まれてなく、確認できなかった。

 生源寺バス停前の東関太右衛門、もと小学校前の東山五平、水戸田神社脇の菅乃浦(台石に本名、生年月日、身長、体重、引退日が刻まれている)、そして水戸嵐小太郎を確認して、小杉町太閤山に入り、JR線北側の街道を歩いたが、井筒長八も谷嵐清太郎改白岩吉治郎も見つけられなかった。

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