« 千歳山龍七 | トップページ | 階ヶ嶽 »

2006年11月27日 (月)

明石塚

1_2  南部町赤石字下川原に自然石の明石塚がある。馬淵川に架かる赤石橋の北詰、下をのぞくと自然石が見える。これに違いないと下り、畑の中を通ってたどり着く。正面に、「天保十五年 越ノ戸門弟 明石塚」、背面に「倉松(以下判読しがたい)」とある。

 越ノ戸は天明から寛政にかけて番付に名のある三戸出身の越ノ戸濱右衛門。明石の名乗りは地名の赤石からとったものと思える。

2_5  橋を渡ったところの赤石十二神社にも明石塚がある。これは明治十五年七月十二日に建てられたもの。もともと十字路脇に建っていたが神社内に移された。

 江戸川区東小松川の善照寺の明石の碑。「元禄十二年に明石が引退興行をした」と住職が語り、最近また話題になっているが、池田雅雄氏によると、土地相撲の力士が明石を名乗り、毎年奉納相撲を催していて、通称「相撲寺」と呼ばれるようになり、その人の墓があったということである(『相撲の史跡』3)。

 

|

« 千歳山龍七 | トップページ | 階ヶ嶽 »

コメント

 はじめまして。
三戸大神宮 禰宜 山﨑貴行と申します。

 当社の境内に『越ノ戸濱右衛門之墓』があります。 まだ墓石の拓本をとったことがありません。肉眼では、多くの門弟達の名前が刻まれているのを確認できます。

 これから詳しく調査しようと思っています。 越ノ戸濱右衛門について、ご存知のことがありましたらお教えください。

投稿: 三戸大神宮 神職 | 2009年8月15日 (土) 14時18分

三戸大神宮に寄らずに帰ってきたことが悔やまれます。
 天明七年から寛政七年にかけて江戸、京、大坂の番付に見える越ノ戸濱右衛門と思います。最高位は前頭筆頭ですが、三役には進んでいませんが、勝敗によって番付が作られていた時代ではありません。詳しくは手紙でお送りします。
 多分門弟中が建てた供養墓かと思います。その成果を楽しみにしています。

投稿: 竹ヶ戸 | 2009年8月15日 (土) 18時06分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/84424/4328798

この記事へのトラックバック一覧です: 明石塚:

« 千歳山龍七 | トップページ | 階ヶ嶽 »