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2006年11月20日 (月)

七ッ瀧岩平・長瀬越後

 18日快晴、名古屋上空では富士山が見え、雪をかぶった御嶽、乗鞍、穂高などの真上を飛んで9時50分岩手花巻空港着、JRで仙北町下車、駅近くの長松寺へ。

Photo_23  ここに七ッ瀧岩平の墓があることを佐藤文孝さんが調べていて、湖沼山さんを通じて知ったので見に行く。七ッ瀧は天明の大飢饉の際、抱え力士が解雇された中の一人である。海沼先生の墓の斜め向かいにある。岩手県内の古い墓は石質が砂岩系で彫りが浅く、判読がむずかしい。

Photo_20  次いで長松院の長瀬越後を見に行く。佐藤文孝さんの調査では、一條関白から越後の名を賜ったという功岩実正居士と刻まれている墓は無くなっていて新しく建て替えられているということだったが、この墓は今もある。傍らに平成二年に建てた長瀬家の墓がある。

Photo_19  「相撲の史跡」4で、越後の父善太郎の墓が見いだせなかったと書いたが、この墓も昭和六十年に新しくなって、傍らに代々の墓誌が作られていた。実は今回も新しい墓なのになかなか見つけられなかった。 とうとう住職夫人にお出ましを願って案内していただく。塀際にある越後の墓域とは離れた中央にあった。

  墓誌に越後も刻まれているので、別に越後の墓があるとは気づかずに、越後の墓はなくなっていたと佐藤さんは考えたように思える。

 住職夫人から木梨さんの話が出た。南部家に泊まってこの墓へもなんども足を運んだとか。木梨さんも越後の墓が別にあることに気づいていないのではなかろうか???

 この墓地は石見潟や黒雲の墓がある久昌寺との境界がないが、卒塔婆を見たらどちらの寺の檀家の墓であるかがわかるという。ナルホド、ナルホド。

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