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2006年11月25日 (土)

田子町の友鶴松五郎

 ここからは以前に訪ねた南部力士の墓碑である。

2_4  田子町塚ノ根三叉路に大きな自然石の三界万霊塔があり、天保十一子年九月三日 施主友鶴松五郎とある。傍らに平成十一年十二月に田子町教育委員会が建てた標柱には、「江戸大相撲友鶴松五郎建之 三界万霊塔 友鶴松五郎は当雀ヶ平の中村家の出身 大相撲に入門し、幕内上位で活躍し、文化元年(一八〇四年)神田明神境内には『前頭筆頭、南部友鶴松五郎』とある。この石碑は友鶴が引退して帰郷ののち天保大飢饉の餓死者の慰霊のために建立したものである。」とある。

 わたしは時間の関係で友鶴の生家や墓を訪ねていないが、佐藤文孝さんが再訪して調べてくださり湖沼山さんを通じて、友鶴は天保九年九月三日に亡くなっていることがわかった。三界万霊塔の建立より先なのだが、塔は本人の遺訓によったのかもしれない。大飢饉は天保四年から十年まで、友鶴も犠牲者であろうか。ようやくおさまった十一年に建てられている。

 友鶴松五郎は享和三年と文化元年の短期間番付に見える者と文政七年から十一年に見える者との二人が確認できるが、碑や墓の年代から後者と思える。前者は南部相撲資料から見て盛岡市永井の出身であろう。

 教育委員会の説明も誤りということになるが、『史料集成 江戸時代相撲名鑑』以外の本が江戸のいわゆる幕内しか取り上げていないのが悪い。また神田明神境内に何かあるような記述だが、神田明神境内で行われた興行という意味。 

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