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2006年11月23日 (木)

長善寺と力士たち

 今から27年前の昭和54年、岩手県立博物館で『岩手県誌資料第28類「南部相撲」』を閲覧、そのコピー292枚を郵送してもらった。その中の御所浦平太夫の項に「紫波郡飯岡村大字永井土地割百十九番戸ニ墓アリ寺ハ長善寺」、高田川虎吉の項に「紫波郡赤林飯岡重太ノ子兄ハ杉山侯ノ家臣トナリ小野寺丈右衛門ト称ス縁ヲ以テ杉山侯ノ抱角力トナル 明治二十年旧十月十三日歿年不詳宝積院数運明道信士」とある。

 都南村上飯岡の長善寺に問い合わせたところ、あらゆる過去帳を調べ、地区の老人たちから話を聞いたが、御所ノ浦ではなく友鶴のことではないか、俗名は亀松と謂い、墓は確かに飯岡村大字永井百十九番戸にあるそうですが、雪が深くて四月以降にならないと確認は困難」という旨のご回答をいただいた。

 先の資料にも友鶴松五郎の項に「永井村」とある。

 その後、岩手飯岡駅の周辺を歩いたが、墓は見つからなかった。今回再挑戦。永井の公民館に人が集まっていたので尋ねたが、見たことも聞いたこともないという。先祖が行司さんだったという家にも案内していただいたが、やはり不明、なんでも住宅地になって墓は長善寺に持っていったという。行司さんだったという家の後方に石塔が見える。十基ばかりが残っていたが、判読不能。

Photo_24  長善寺めざして歩く。雪をかぶった岩手山が右手に、あるいは前方に見え、1時間ほどで長善寺に着く。日曜とあって法事の人たちが何グループも順番を待っていた。無縁塔には高々と墓が積まれ、墓地には新しい墓が立ち並ぶ。小野寺姓の墓も多く、高田川がないか見て回るが、該当の法名は見あたらない。

 法事が終わったらしいので、相撲取りのことでお尋ねしたいと来意を伝えると、2か月ほど前に電話をされた方かと聞かれる。後でわかったが、これは杉浦弘さん。前にいただいたはがきを見せると、師匠は旅行中という。けれど中に入れていただき住職が丹念に過去帳を調べてくださった。が、それらしい人物は出てこなかった。途中二度も火災報知器がけたたましくなり、寺の人たちが本堂に駆けつけたりした。

 なお、文政6年の上覧相撲名前書きには八ツ木川熊五郎も東飯岡村出身。

 注:以上の地名はすべて現在は盛岡市。

 

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