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2006年12月13日 (水)

山の上三太夫その2

 滝沢村役場の近くに教育委員会の建てた「山の上三太夫の墓」の矢印があり、それにしたがって進むと少し高くなったところに自然石の墓がある。

 正面に「山上 延宝四辰年六月十五日 千応俊勢信士」とある。

 周囲にはその後に建てた地蔵や供養碑がある。昭和42年の二九一年祭相撲奉納記念碑、これには滝沢村相撲同好会の連名がある。昭和47年世話人会が建てたものには祭日八月九日とある。土地の人たちは今も毎年この日に供養をしている。

 そして、滝沢村が建てた説明板があり、「(前略)延宝四年の夏、重信の長男行信が駕籠で帰宅の際、幼少の行信を涼ませるという善意で6人でかつぐ籠を一人で軽々とかつぎ、橋のらんかんの外に差し出した。このことが重信の怒りを買い小鷹の刑場で処刑された。(下略)」とある。

 この橋のらんかんの話は民話の本によく出てくる。夕立が来て桶ごと運んだとか、竹を廻しにしたとか、怪力にまつわる話は各地の民話に見られる。

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