宮垣勝之助
『福地村の文化財』に宮垣勝之助の墓が記されている。現在は南部町小泉。文化財マップの位置に着いたが墓が見あたらない。タクシーの運転手が会社に電話し、そこから村役場に電話し、墓は共同墓地に移されていることがわかった。
運転手もたいへん関心を寄せ、墓を見たいと先に立って坂を登る。墓地を見渡して、あれらしいとわたしが言い、左側に宮垣勝之助と刻んでありませんかというと、その通りです、どうしてわかるんですかと聞く。墓がここだよと招いているんですと答える。
運転手は気味悪がって先に墓地を下りる。種を明かせば、その墓が大きく古い墓だったからである。
『福地村の文化財』には、「八戸藩のお抱え相撲で、天保六年、七代信房公の葬儀の際に、大刀、小刀を帯び、裃姿で参列している。今でも「おおしも」という屋号で呼ばれている家がある。」とある。
宮垣は文政末から天保十年にかけて江戸や上方の番付に名を見る。墓正面に法名、右側面に「天保十五甲辰年七月二十日」とある。
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