« なれあい | トップページ | 朝 青 龍 »

2007年7月24日 (火)

角力取変死

 『続伊予岩城島の歴史(下巻)』(昭和46年10月 岩城村郷土誌編集委員会編・同教育委員会発行)に「角力取変死一件」という項がある。

 文政7年2月11日、岩城村で角力興行を催すために来ていた肥後出身の一山平蔵ら五人が後家宅で酒宴中に口論となり、松ヶ崎吉之助が刃傷に及び、一山が相果ててしまった。

 松ヶ崎は用事で外出していて、全く無関係だと述べる。そして、逃げ去った時嵐清蔵、光五郎、鋤立熊蔵を船留めをして取り押さえるよう訴える。

 結局三人の行方はわからず、師匠の時勝源之助も19日になって島へやってくる始末、取調が始まったのは23日夜、時勝と松ヶ崎が一札を入れて一山は埋葬された。今も小村墓所に一山の墓がさびしく残っている。

 

|

« なれあい | トップページ | 朝 青 龍 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/84424/7260752

この記事へのトラックバック一覧です: 角力取変死:

« なれあい | トップページ | 朝 青 龍 »