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2007年7月 6日 (金)

日見峠の両国墓

 蛍茶屋まで市電、運賃は100円、山の中腹まで家や墓が立ち並ぶ長崎は今日も雨だった。

 坂を登りはじめてすぐの芭蕉句碑(渡島塚)を過ぎた次の坂を右へ入ったところに、丸山権太左衛門らの墓がある。ここは以前地元の相撲史家に連れて行ってもらった。もともと街道に面して建てられていたものがまとめられてしまい、標示もなにもないので目に触れにくくなってしまった。

2  街道には将棋士の墓などもある。青銅燈(からかねとう)を見る。ここで雷電たちは一服している。『諸国相撲帳』に「道中難儀場に御座候、山道峠もあり長崎入口にてからかね當と申す所にて酒肴たべ候」とあるが、峠を越え長崎の町が見えた所にあり、誰しもが一服したい場所である。今も少し広場になっている。この塔は享保6年の大水害の犠牲者を供養するために建てられたもので、長崎市の有形文化財に指定されている。

 このあたりから山へ入ったところに豊前坊神社があり、「両国関初土俵力験之石」というのがあるのだが、雲がかかっているので行くのはあきらめる。帽子は飛ばされる。傘もさせない。ひたすら日見峠をめざす。

 途中にも墓地があり、念のため一つ一つ見る。墓地を素通りできない悪癖?が身についてしまっている。ようやく峠の入口であるお手水に着く。どうしてつけられた地名なのかは調べていない。ところどころ茶屋跡があり、昔の賑わいを語っている。こんな所に墓地があるのだろうかという不安を抱きながらも、丸山も雷電も歩いた道なんだと風雨の中をひたすら登る。

1191985_img  石神さんを祀る地震神社に到達、左に墓地が見える。太田家の墓があり、年寄待乳山の両国梶之助の名が法名塔に刻まれていた。谷中墓地にあるのと一字異なる。もう峠近く、標高は200メートルを超すくらいの地点。生家も峠道にある。

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