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桜井市にあるその他の力士墓

 金屋の海石榴市(つばいち)観音堂前に大和川久右ヱ門(弘化二年八月二十日 年六十一 三組中)。

 慈恩寺共同墓地に楠鹿川(文久三年十二月立 三輪組)。玉垣で囲ったところに前田繁馬、関為之助の墓があり、ともに背面に「文久三年癸亥九月廿六日戦死 於弐上郡慈恩寺」とある。二人は天誅組で、追われて湯豆腐屋で休息中に藤堂藩の武士に斬られた。関はもと江戸の力士といわれる。

 山の辺の道に面して三ッ山助七(弘化四年四月)の墓は道標になっていて、左面に「右二階堂丹波市、左法隆寺立田大坂へ」、背面に「右田原本三輪はせ」とある。

 奈良県内で確認できている力士墓は以上である。ここに書き上げなかった墓碑などをお気づきの方はコメントにお書きくださると幸甚です。

 野見宿禰関係は諸書に見えるのでここでは記しません。

 ではさよ奈良。

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櫻山

 桜井市には櫻山代々の墓が見られる。

 粟殿の極楽寺の西にある共同墓地に櫻山政吉(嘉永二年五月廿八日卒)、脇谷公園墓地に櫻山定吉(大正元年十月廿一日 年六十一 門人中)、立小路の来迎寺墓地に二拾八代目頭取櫻山保馬(明治四十年九月建 大正七年十二月八日 行年六十四才 門弟中)、下の聖林寺淨苑墓地に三十一代櫻山太三郎(明治四十年八月廿日建)。

 天理市柳本町の山の辺霊園に櫻山安平(明治八年十月 草川村)。

 他にもありそうで、二上山博物館で行われた「葛城の英雄・けはや」展の時にも桜井市の方から尋ねられたことがある。

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真鶴秀五郎、盛山伊之助

 旧二階堂村藤川から三河島事件で東京から大阪相撲朝日山部屋へ移った真鶴秀五郎、筑紫から岩友門人の盛山伊之助が出ている。

 真鶴は大阪市旭区古市で亡くなったことまでわかっているが、墓所不明。

 盛山は子孫にゆかりの人が葛城市相撲館に訪ねてこられたことがきっかけで、生家西方の共同墓地に墓があることがわかった。大阪北浜で米屋を営んでいたという。

 庵治町の共同墓地に稲葉山菊松。

 楢町の興願寺に八重桜弥左衛門(文政五年二月建)。もとは大橋詰めにあった。

 丹波市町の共同墓地に若狭川嘉七(天保八年五月十三日 門弟中)、国分宗一郎(天保十五年七月五日 門弟)、藤浪(文政五年八月建、文政十二年九月六日)。

 下仁興町の公民館前に一ツ山清八(天保十三年九月 下仁興村 門弟中)。

 文政から天保にかけての墓が多い。

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大和郡山市にあるその他の力士墓

 横田町の西興寺に枝川栄治郎(安政六年八月廿一日)、鋸仙助(慶応二年二月建 門弟中)。素戔嗚神社の北側にある東川家墓地に鳴瀧源蔵(明治十年十一月吉日)。

 近鉄平端駅近くの八条町共同墓地に藤島利助(明治三十八年建)。

 小泉町の共同墓地にある荒岩岩吉(明治四十二年七月)は力士かどうか?

 高田町出身の笠置山勝一は東京都世田谷区北烏山の妙寿寺に墓がある。

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卯之刻相撲

 けさのNHKニュースの「とれたてマイビデオ」で宇和島市(旧吉田町立間)の卯之刻相撲を紹介していた。

 卯之刻という時間帯なので、まだ見学に訪れたことがないだけに興味深く見た。裃姿で三番。最後は引き分けという神事相撲によくある形。市の重要無形民俗文化財に指定されている。

 今晩の7時からNHKBShiのハイビジョンふるさと発「相撲の青春ー山口県下関市・18歳 試練の秋」がある。残念ながら、うちのテレビでは見られない。

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矢田寺

 大和郡山市の金剛山寺(俗に矢田寺)の参道階段には力士や芸人の墓がずらりと並んでいる。

 相撲取りは上から順に、玉川萬兵衛(安政六年七月五日 門弟中)、若狭山若吉(天保十四円六月十九日 門弟中)、浪花川長右衛門、鈴鹿山新七(天保十二年二月六日建 門弟中)、木曽川寅之助(文化十年閏十一月七日 門弟中)、藤浪源兵衛(文化十五年三月十六日)、香取山礒吉(文化四年三月建 天保二年九月十三日歿)、三笠山源兵衛(安永九年八月二日 行年七十三歳)、鞍馬山伊八、今砲(天保七年)、美濃嶋利兵衛、光山嘉兵衛(寛政二年五月七日)、小晒庄七(天明八年二月六日)、三ッ車新蔵・咲分彌八(文化十四丑十二月)。

 三笠山源兵衛は明和年間に大坂番付中相撲に名がある。棹石の左右面に、南都、白土、上総、筒井、美濃荘、帯解、横田、和楽、番條、岩谷、七條、蔵荘を冠した力士名が刻まれていて、当時の大和北部に存した相撲集団のことを知る貴重な墓である。ここに墓のある光山は美濃荘、今出川は上総、小晒は帯解、美濃嶋は横田。

 香取山礒吉も天明年間に大坂番付中相撲に名を見る。

 本堂左手に櫻山伊六(明治廿二年四月六日 奈良木辻村住)もある。櫻山代々については後に紹介。

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大鵬、先人の墓に参る

 相撲博物館館長の大鵬さんはこのほど八女市の揚羽空右衛門の墓と、揚羽が建てた筑後市にある秋津嶋浪右衛門の供養塔に参った。秋津嶋への墓は現役時代柏戸と一緒に参りに来たという。

 揚羽空右衛門展がきっかけで実現したものと思われるが、先人たちの墓参、力士親方はもちろん好角家と自認する人たちも積極的に訪れ、調べてほしい。

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奈良市にあるその他の力士墓

 大野町の十輪寺右手の墓地に森山塔(安政五年十一月廿一日 門弟中)。

 北五門町の五劫院墓地入口に濱の松萬吉(慶応四年六月建)、戎川八十吉(安政三年正月廿八日)、小車市松。

 三条町の浄教寺に礒の森権平(明治十五年十二月建)。

 油阪東町の西方寺に清水川喜三郎(弘化二年建)。

 白毫寺町の東山霊園無縁墓群に平野川平四郎(明治三十五年四月四日)、同町西勝寺墓地に桂川新太郎(文政三年三月十一日)。

 南永井町の安楽寺に七代目今碇事中村千松(明治四十四年一月十五日)。

 法蓮佐保田町の瑞景寺に香取山礒吉(明治九年九月十四日)。矢田寺にある香取山礒吉とは別人。

 中山町の共同墓地に嵐山斧次郎(明治三年九月建、明治七年六月十九日歿)。

 五條山西墓地に岩木戸助六(安政六年九月二十六日 行年七十二才 天保十五年九月 三条村)。

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鶴ヶ濱熊吉碑は久留島武郎書

 奈良市米谷町の生家に、正面「東京力士 二代目鶴ヶ濱熊吉出生之地 久留島武郎書」、左面「明治二十三年九月東京力士鶴ヶ濱トナル 明治四十年一月年寄伊勢ヶ浜勘太夫ト改名ス 昭和二十四年一月 清水勝嗣建之」とある碑が建っている。

 揮毫している久留島武郎は昭和二十年の空襲で東京の家を焼かれ、奈良市の寧楽女塾の一室を借り、童話の普及に全国を回っていた。

 大正十二年の三河島事件で弟子の司天龍の行動に責任を感じ、除名するとともに、自らも角界を去った。今の角界のおえらい人たちに爪の垢でも煎じて飲ませたいものだ。

 墓は東京都大田区の池上本門寺内の法泉寺墓地にある。

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琴桜追悼展

 7日の日本海新聞によれば、「第五十三代横綱琴桜追悼展」が11月10日(土)から12月9日(日)まで倉吉市山根のパープルタウン2階特設展示場で開催される。入場無料。

 11月10日は午前10時にオープンセレモニーが行われ、先着100人にちゃんこ鍋が振る舞われ、会期中の日曜日には先着100人に「ことざくら米」(500グラム)がプレゼントされる。

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住ノ江濱之助

 奈良市阪原町へ秋祭りの神事相撲を見に行った折り、神奈川県からふるさとへ来ておられた住ノ江の子孫と偶然にも出会った。

 中村の共同墓地に墓があり、左面に碑文がある。

 俗名捨吉當中村藤垣清造三男嘉永三戌年拾二歳志ヲ立家ヲ出大和八木町在中村某家ニ身ヲ寄勤仕数拾年元治元年齢二拾有六歳骨格偉大幸朋友ノ進ニヨリ大坂角力小野川部屋ニ入力士トナリ名ヲ源氏山ト呼後住ノ江源蔵ト改三拾歳ニ至大坂南区塩町二丁目五番地ニ家ヲ購ヒ居ヲ茲ニ定仝時力士退隠頭取ニ舉ラル其ノ傍宿屋業ヲ營逐年隆盛ノ基礎固ク于時偶病ニ罹リ不幸起能ズ遂ニ明治四拾三年三月廿五日歿ス享年七拾二歳

 ふるさとの長尾神社に狛犬一対(明治三十六年九月)と神輿を奉納している。小太鼓には「明治三十五年十月十七日大阪市南区塩町二丁目住ノ江うめ奉納」とある。

 大阪市天王寺区の一心寺にある住ノ江家の墓は棹石が六角柱で、それぞれに戒名が刻まれている。棹石は回転式になっていて、命日に当たる人を正面にもってきて法要を営むという。このこともご子孫から教わった。

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八尾ヶ関、多賀ノ浦

 天保十二年尾張国海部郡草平村(現愛西市)出身の八尾ヶ関宗十郎は大関まで進んで、三保ヶ関を襲名、明治四十二年十二月十三日に亡くなった。

 奈良市の霊厳院で葬儀が行われたが、京谷家の檀家もなく、墓所は不明。

 明治三十年愛知県渥美郡杉山村(現豊橋市)生まれの多賀ノ浦作太郎は高田川部屋に入って関脇まで進んだが、引退後は枚方市で肉屋を営み、昭和二十年四月五日に亡くなった。

 奈良市富雄元町の四天王寺大和(ダイワ)霊苑八区の稲石家墓地に眠る。

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「狩野永徳」展

 京都国立博物館の「狩野永徳」展の招待券をいただいたので見に行く。土日は多分たいへんな人であろうと予測して、2日の金曜の夜に行く。ただいま待ち時間10分の入口標示も実際には15分かかって6時過ぎ中に入る。

 お目当ては上杉本洛中洛外図、他は人の頭越しにのぞいて、中央室にある「洛中洛外図」のところで並ぶ。遅々として進まない。

 右雙の鴨川の二條あたりの右岸に相撲が描かれている。上手出し投げが決まりそうな場面、日よけの傘などさしている観客、行司役の年配者は団扇(軍配団扇ではない)をもっている。

 祇園祭の鉾巡幸(特に蟷螂山)、神輿渡御など見飽きない楽しさ、何をしているのだろうと首をかしげたくなる人々の姿、生き生きした表情、ここに立ちつくしていたいけれど、後に並ぶ人たちのために隅々まで見ることもなく退く。館内にはあと30分で閉館ですのアナウンス。 

 新館に移ってビデオを見る。西洞院川に沿ったところにはその地域に入るところに木戸が描かれているなど、細かなところを知る。8時きっかりに館内を出る。

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図録「すもうーあめのしたのちからびと」

 葛城市歴史博物館で11月25日まで催されている「すもう ー天下の力士ー」の図録をいただいた。

 平城京発掘の際見つかった相撲節会関係の墨書土器、春日大社の伎樂面のほか、県内に残る絵馬、番付、化粧廻し、などなど。

 正倉院にある伎樂面の金剛や力士には髻があるが、春日大社の室町時代とされる伎樂面の力士には髻がなく異様。

 女性が奉納した絵馬が2点、白い肌になりますようにと願って掲げるというが、一つは白肌に描かれているが、他はそうでもない。

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