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2007年11月13日 (火)

矢田寺

 大和郡山市の金剛山寺(俗に矢田寺)の参道階段には力士や芸人の墓がずらりと並んでいる。

 相撲取りは上から順に、玉川萬兵衛(安政六年七月五日 門弟中)、若狭山若吉(天保十四円六月十九日 門弟中)、浪花川長右衛門、鈴鹿山新七(天保十二年二月六日建 門弟中)、木曽川寅之助(文化十年閏十一月七日 門弟中)、藤浪源兵衛(文化十五年三月十六日)、香取山礒吉(文化四年三月建 天保二年九月十三日歿)、三笠山源兵衛(安永九年八月二日 行年七十三歳)、鞍馬山伊八、今砲(天保七年)、美濃嶋利兵衛、光山嘉兵衛(寛政二年五月七日)、小晒庄七(天明八年二月六日)、三ッ車新蔵・咲分彌八(文化十四丑十二月)。

 三笠山源兵衛は明和年間に大坂番付中相撲に名がある。棹石の左右面に、南都、白土、上総、筒井、美濃荘、帯解、横田、和楽、番條、岩谷、七條、蔵荘を冠した力士名が刻まれていて、当時の大和北部に存した相撲集団のことを知る貴重な墓である。ここに墓のある光山は美濃荘、今出川は上総、小晒は帯解、美濃嶋は横田。

 香取山礒吉も天明年間に大坂番付中相撲に名を見る。

 本堂左手に櫻山伊六(明治廿二年四月六日 奈良木辻村住)もある。櫻山代々については後に紹介。

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コメント

矢田寺は私の住まいよりすぐ近くで2-3回参りました。力士の墓もありました。
相撲館の奈良県出身力士の展示を見ていた来館者と、日本相撲協会の相撲博物館が奈良県として公認している「鈴鹿山(鬼一郎)」は1場所番付がのっただけで、詳細が解ればスクープなどと話しをしていると「鈴鹿山の墓が矢田寺にある」と言われた来館者が過去に1名おられました。矢田寺の鈴鹿山(新七)とは明らかに別の人物と思いますが、「一応見に行きます」と答えた記憶があります。

投稿: 小池 | 2007年11月15日 (木) 16時53分

 相撲館からお話を聞いて鈴鹿山の子孫を訪ねたことがありました。鈴村新七が本名で、それで鈴鹿山と名乗ったようです。出身地の番条に墓があったようですが、今は整理されてわからなくなっていました。
 鈴鹿山鬼一郎に関する情報が出てくるとうれしいですね。

投稿: 竹ヶ戸 | 2007年11月15日 (木) 18時56分

造り酒屋をしておられる方ですね。当時は大変お世話になりました。

投稿: 小池 | 2007年11月16日 (金) 09時22分

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