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2008年1月 5日 (土)

ラン!らん!蘭!

 やまあそさんの仲間が書いている「長富士から古法華寺へ」に、“田んぼの中にこんもりした盛り土の上に石碑のようなものが見えるので、これも尋ねてみると、近くに相撲取りがいて、その人を記念して建てたものらしい”が前から気になるので見に行く。

 粟生で北条鉄道に乗り換えるのだが、1時間に1本しか走っていない。まず法華口で下車、善防にある力士墓を見に行く。大型車が次々に通り過ぎ吹き飛ばされそう。以前来たときはこんなことはなく、静かな農村だったのに。

 道路脇に文化五年の蘭秀四郎、天保二年の蘭後見酒殺嘉兵衛、文久三年の蘭虎五郎と酒殺安太の墓が今も揃って残っていた。よく見えないのだが、「相撲の史跡5」で蘭秀四郎と書いたが、蘭千四郎のようだ。とすると安永期の大坂番付上取り力士。加西市史かなにかで俳諧の師匠と出ていたのを見たが、その資料いくら探してもどこへしまったのか出てこない。

 共同墓地など見ながら播磨下里駅近くの墓地に行き、またまた蘭を発見。気分もランランラン。ここは野田町の墓地。正面に「大玄」、右面に「蘭九兵衛」、左面に「泉川九兵衛」、背面に「文政十丁亥四月建 天保三壬辰冬十月改蘭」とある。すなわち泉川のとき門弟たちが墓を建ててくれたが、後に蘭を襲名したということがわかる。アララギと読むがフジバカマという訓もある。

 皿池公園で昼食、そして古法華公園駐車場から山に入る。吊り橋の標示の所まで登ったが、もう2時近くなのでHPに示されている地図通りに行くことはあきらめ、古法華寺へ行く。いろいろの石仏を見ているうちに散策マップが置かれていることに気づきいただく。力士塚が二個所載っていた。一つは泉川改の蘭、もう一個所は西剣坂町。

 この剣坂町は中村豊吉の出身地で、以前訪ねたことがある。メモを取るまもなく写真にだけ収めてある。文政二年の川浪伝蔵、天保六年の初嵐太蔵、昭和九年の白龍、いずれも道路脇にある。中村豊吉は氏神に燈籠など献じているが、墓の在りかは大阪市内と思えるが不明。

 かんじんのやまあそさんらが見つけた田んぼの中のこんもりした盛り土の力士墓というのは確認できなかった。

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