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2008年1月 6日 (日)

安楽田は荒馬吉太郎

 多可町のホームページに中区安楽田の太子堂に戦国時代の供養塔や相撲取りの墓があると書かれているので見に行く。

 旧中村町、鍛治屋線が廃線になっているので、西脇市駅からのバス時間に合わせて出かける。この駅も以前は野村駅で町外れ、西脇中心街にあった西脇駅ももう無い。バスは中心街で人を降ろし、私一人を乗せて北進。

 安楽田(あらた)で下車、墓地が見えるのでそこへ行くが、相撲取りらしいものはない。参りに来ていた人に尋ねた太子堂はすぐ近く、そして堂の前に荒馬墓。右面には碑文があり、……馬称吉太郎などと刻まれているが、残念ながら上部が欠損している。台石に門弟中とあり、どうやら備後で亡くなったようである。江戸期と思える。

 中区高岸にある大歳神社には立派な土俵がある。境内にある稲荷社の奉納相撲が例年行われている。播磨灘などの力士が出ているとか、墓地は神社の奥にあるが、新しくなっていて力士墓は見あたらなかった。

 このあたり農村歌舞伎や神楽など民俗文化が今も受け継がれている。

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コメント

お忘れかも知れませんがお久しぶりで御座います。
数年前、私所蔵の江戸後期から明治初期の「蒙御免」「大相撲」「相撲」の入った番付を京都での災害訓練参加時に持参するお約束をしましたが、急遽参加不可能になり、そのままになってしまいました。
若し北陸地方に立ち寄られる機会が御座いましたらいつでもお見せ致します。

相撲関係ではその他、天保から明治20年までの日記に金沢を訪れた江戸相撲興行の記載がありますし、大正前期の力士絵葉書、江戸後期の浮世絵がありますが、浮世絵は所有者だった方の蔵での保存状態が悪くボロボロです。

加賀の豪商に東南アジアから蝦夷まで交易で財を成し、幕末加賀藩に大金を貸したが故か、お城のお役が変わった機会に濡れ衣で捕らえられ三男と番頭は磔、本人は獄死した「銭屋五兵衛」がおりましたが、彼を調べるため菩提寺を訪れましたら墓地の片隅に大きな墓石があり、住職に聞きましたら力士の墓だと言ってました。又、銭屋五兵衛記念館の屏風図には関取が書いてあり、私の持っている番付で確認した覚えがあります。

加賀藩初代藩主・前田利家を祀った「宝円寺」には本尊の横に大きな二体の仁王像が立ってますが、江戸の火事で一体は焼けましたが、残る一体は力士が担いで持ち出し無事だったと言う説明でした。

あと、羽咋の小さな神社の入口に力士の碑があったような気がします。

何れも力士名を失念して申し訳ありませんが、現地では解ります。

長々と不確かな情報スイマセン。

投稿: ken | 2008年1月 7日 (月) 08時28分

 相撲評論家さんのページが尋ね人の役目を果たして、さっそく当方にコメントをいただきありがとうございます。
 いずれ機会をみてぜひ見せていただきたいと思っています。
 
 銭屋五兵衛の菩提寺も訪ねてはいませんし、能登の方や金沢市の白山山麓の方にもたくさん見ていない力士墓が存在するようです。今後ともよろしくお願い申し上げます。

投稿: 竹ヶ戸 | 2008年1月 8日 (火) 07時16分

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