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2008年2月 3日 (日)

田布施から柳井へ、そして通津、高畑

 中・高校生時代からの親友が死して今年で7回忌になるので、平生町にある墓に参りに行く。

 田布施で降り、相撲に関するものはないかと旧道を歩く。大恩寺に飢民の供養塔、享保17年中国、四国、九州を襲ったときのもの。

 一時間あまりで平生町に入る。堀が幾筋にもあり、静かな町、法雲寺には大きな嘉永四年建立の墓があり、そこに友人も葬られていた。

 柳井に向かって歩く。交通事故でなくなった乙女たちの十字架が並ぶ。国木田独歩の「帰去来」の碑もある。市内に入って白壁の町並みを歩き、松島詩子記念館や地名ゆかりの柳や井戸などを見る。

 2時半の列車に飛び乗って通津で降りる。『山陽の相撲史跡』で紹介されている「田浦大相撲発祥の地」碑を見て、すぐ次の列車に乗る。快速なので、大野浦や新しくできたと思われる前空には停まらないので、宮島口で降り、坂を登って新幹線沿いに西進、高畑の薬師堂を訪ねる。

 ここに史跡「高庭駅家跡」「濃唹駅跡」の標示があり、天平三年大伴君熊凝が肥後から都へ節会相撲に召されて行く途中ここで病に倒れたことを聞いて詠んだ山上憶良の歌碑が建っている。

 「出で行きし 日を数えつつ 今日今日と 吾を待たすらん 父母らはも」(出弖由伎斯 日乎可俗閉都都 家布家布等 阿袁麻多周良武 知知波波良波母)〔萬葉集巻第五 六首の内〕

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