時津風、そして二ッ龍
高松市文化財保護協会から相撲博物館に問い合わせがあり、大阪頭取時津風喜平の墓が高松市牟礼町にあることがわかった。相撲博物館と柏野さんからそれぞれメールが届いており、歿年月日なども判明、いずれ詳しくは『相撲』誌で紹介されるであろう。
この時津風は力士名が象ヶ関喜助、明治の初め大阪相撲で活躍した。その頃いた二ッ龍庄八は鹿野往来関係のホームページに「すもうとり塚」として紹介されていることがわかり、このほど確認してきた。
鹿野往来の西の入口にあるのが二ッ龍庄八で、明治十四年五月とあるので現役死亡かと思われる。大阪相撲の分裂もあって関脇を勤めている。
東の入口にあるのは早雲幸四郎で、嘉永七年三月とある。その隣には宝暦十四年と文化四年の廻国回向塔がある。
二つの碑の説明には「相撲取り塚」と言い、昔相撲で名をあげた力士の出身村がその力士の力にあやかり、村を災いなどから守ってもらおうとこのような塚を村の入口に建てる習慣がありました。」などとある。
若狭街道熊川宿にも北と南の入口にそれぞれ相撲取り塚がある。
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コメント
さっそく墓を発見された方、相撲博物館に照会された方、そして時津風の墓写真を紹介していただき、楽しく拝見しました。いずれわたしも訪ねてみようと思っています。
投稿: 竹ヶ戸 | 2008年4月26日 (土) 09時39分