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2008年5月10日 (土)

安政四年十月浜松での興行番付

 大阪歴史博物館の「共同研究成果報告書 2」に目を通した三河國さんは、安政四年七月の京都番付と同じ現象が、同年十月下旬浜松での興行番付でも見られると、その番付のコピーを送ってこられました。

 それは新居本陣に保存されているもので、上の欄外に「墨書入安政四年巳十月冬場所番附順也助早見記之」、右の欄外に「朱書入安政四丁巳春番附順」などと書き込まれています。ときどき朱で江戸番付での位置を書き込んだ番付を見かけますが、どのような力士が興行にやってきたのか関心が高かったものと思われます。

 さて、問題は江戸番付の二段目にいる力士が、京都での興行では中相撲に名があり、浜松での興行でもそのようになっているのです。そして、“初切”にもその名があるのです。そして、三段目や四段目の力士の方が上位にいます。

 結論を言いますと、中相撲は三番相撲を取り、観客に受ける人たちがいたということです。相撲の楽しさを味わわせてくれる芸達者な人たちがいたということです。当時の日記などからもそれがうかがえます。三役・前頭上位はほとんど相撲は取らない、巨漢、怪童、美男子といったところでしょうか。

 

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