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2008年7月21日 (月)

シーボルトを感激させた陣幕島之助

 シーボルトの『江戸参府紀行』(斎藤信訳・平凡社発行「東洋文庫」)の文政九年三月十日に次のようにある。

 「曽根の松・石の宝殿・高砂に出かけた。(中略)使節はあとの二つの寺には行かなかったし、ここで一人の力士(Sumo)がオランダ人に対していつも開いてくれるささやかな酒宴にも出なかった。この力士は三ヵ月前に長崎に来て、出島のわれわれを招待したことがあったが、その間に彼の家は家具や調度品もろとも一物も残さず火事で焼けてしまった。われわれはこの裕福だった人が貧乏人に変わり果て、彼のいうところによると、以前には立派な住まいがあった所に、ただ二、三のみすぼらしい小屋が建っていたのを見た。けれども彼は、できる限りの食卓を用意していた。すべての道具類がたいへんな苦労の末に集められたことは一目でわかった。私は彼とともに健康を祝して杯をあげた。ともかく彼は損害を受けたにもかかわらず元気であった。私は、今晩われわれの宿舎で彼のために小さなみやげ物を捜しておく約束をした。」

 この後、シーボルトは使節の無愛想な態度を取ったことを批判している。力士の名前が記されていないが、化政期の陣幕島之助であることにまちがいがない。

 彼は文政十二年十月五日歿、その後建てられた、あるいはもっと後に建て替えられたであろう生家には、大きな白壁に「陣幕」とあり、彼の墓と並んで龍門、高見山など多くの弟子たちの墓がある。

 

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コメント

富士講の一派不二道を起こした小谷三志の著作集(『鳩ヶ谷市の古文書』)のなかに、文政八年十一月に三志が初めて長崎に行ったときの出来事を弟子に書き送った文章の中に、陣幕が登場します。父親を連れて西洋医の診察を受けさせに長崎に来ていたようです。この間に家が火事になってしまっていたということらしく、驚きです。

投稿: 唐来参和 | 2014年2月 4日 (火) 22時25分

 コメントありがとうございます。
 父親の病気治療に長崎へ連れて行っていたのですか。
 慕っていた弟子達の墓は今も生家の庭にあり、すばらしい人物であったと思います。  

投稿: 竹ヶ戸 | 2014年2月 7日 (金) 09時15分

お返事をいただき、ありがとうございます。
小谷三志という人は、親孝行を勧める「不二孝」という団体(富士信仰から派生したもので、実の親への孝行とともに、富士山にいる元の父母への信仰を説く)を作った人ですから、父親をつれて長崎まで行き、わざわざオランダ人の医師(シーボルトも含まれるか)の治療を受けさせている親孝行に感動したのでしょう。陣幕という方は人格者で弟子にも慕われていたということですが、孝行息子でもあったみたいですね。このあと数年で亡くなったようですが、お父さんはどうなったのかとか、よけいなことかもしれませんが、心配になります。

投稿: 唐来参和 | 2014年2月10日 (月) 22時14分

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