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2008年11月28日 (金)

大碇紋太郎は獄死したのではありません

 柏野さんから大碇紋太郎の本が出たという新聞記事(朝日、中日)をメールで送っていただきました。

 それは「悲しき横綱の生涯 大碇紋太郎伝」で、河上肇自叙伝で大碇の晩年を明らかにすることができた、というものでした。

 「河上肇自叙伝」の第3章に大碇という相撲取りが自殺する記述がありますが、この自叙伝は面会に訪れる妻子をはじめ知人などすべて実名ではありません。人権を大切にする河上肇が同房の人を実名で記すことはありません。自叙伝を読み、編者の註を見ればわかります。

 著者の勇み足、各地の図書館などに置かれるようになったら悲しいことです。大碇が哀れでかわいそうです。

 郷土研究誌「みなみ」(南知多郷土研究会発行)の第78号(平成16年11月15日発行)に「横綱大碇の最期」という記事を内田白花という方が書いておられます。刑務所で自殺したのなら当然本籍地の役場に連絡があり、戸籍に死亡年月日が記載されるはずだが、それも空白のママであり、追跡して出した結論は“刑務所で自称「大碇」というのはニセものであることがはっきりして、今この事実を発表しておかなければ、日比紋太郎は強盗殺人、前科三犯、無期懲役の濡れ衣を着せられ、それが事実として誤り伝えられてしまう、”と懸念しています。

 悲しいことが起きてしまいました。

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コメント

現在河上肇自叙伝を実見するを得ないので、過去につくったメモから引っ張っておきますが、岩波文庫版(私が持っているのは'96~'97年に刊行されたもの・初刷)でいけば、くだんの記述は4巻(青132-5)の209~211ページに出てきます。
・昭和11年の時点で78歳
・梅常陸全盛時代の幕内力士
というわけで大関大碇とはズレがあるわけで、そのへんを突き詰めないでものしたとすれば、勇み足では済まされない一人相撲で、註がどうのという次元の話ではないはずです。
#註に絶対の信を置くべきでないという点では、同じ岩波文庫でいけば「一年有半・続一年有半」に出てくる「陣幕・鬼面山・雷電・境川」のうち雷電について為右衛門のこととする註を附するによって明らか。

河上肇ということであれば一海知義氏あたりが一言物言いをつけていただけるだけでも…というのは欲張りでしょうか。

投稿: | 2008年11月29日 (土) 01時10分

この情報の元となった『悲しき横綱ー大碇紋太郎伝』を読みましたが、大碇本人が獄死したとは書いてありません。河上肇が「大碇と名乗る男と小菅刑務所で一緒だった」とその様子を述べているだけで本人とは断じていません。著者の西まさるも「この大碇を名乗り男と大碇は10年の年齢差がある」とも書いています。
先入観での思い込みではありませんか。
それにしても、大碇紋太郎、にせ大碇、河上肇。面白いノンフィクションです。

投稿: 大碇 | 2016年10月 9日 (日) 16時27分

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