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2009年4月13日 (月)

草摺岩右衛門

 今宿一里塚を過ぎると、守山の地名のいわれという東門院がある。最澄が比叡山開創にあたり四境に門を構えたその東門からつけられたという。

 守山には道標も多く残されている。謡曲『望月』ゆかりの甲屋、そこには井戸跡も。桜並木の馬路石辺神社を過ぎると、野洲川。渡ったところに十輪院。道路に分断されて小さな堂が残るだけ、そこに“野洲晒”を詠んだ芭蕉の句碑がある。「野洲川や身は安からぬさらしうす」

1282815_img  道路を隔てて、石仏が積まれた最上段中央三界万霊塔の向かって右手に、小野川喜三郎の京都相撲での師匠草摺岩右衛門の墓がある。左側面に「天明七丁未九月二十九日」、台石は正面に世話人七名、右面に「門弟中」とあるようだが、“門”しか見えない。世話人も判読しがたいが、「東川丈助、鴈又忠二郎、礒川弥介、一松茂右衛門、重間勝四郎、唐獅子藤兵衛、岩島小太郎とあるようだ。草津宿街道交流館も調査しておられて展示されるはずなので、その結果が楽しみ。

 草摺の墓は対岸の大津市志賀町にもやはり門弟が建てたのがある。堅田と守山との往き来は相撲取りの勢力範囲をも読み取ることができる。

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