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2009年9月 6日 (日)

平群谷の鵤

 6月に葛城相撲館に大和の石仏会の人たちが調べられた相撲取りの碑などについての問い合わせがあり、わたしの手元にも届いた。

 わたしはまだ訪ねていない碑だったので、このほど見て回ってきた。近鉄平群駅に降りたって東を見る。山の中腹に寺院らしき建物、農作業をしている方に道を教えてもらって、ようやくたどり着く。ここは椿井の常念寺、井戸が史跡として保存されていた。

1303014_img  平群谷を見下ろす場所に二基の力士墓。左に鵤亀蔵(嘉永四亥七月八日 門弟中)、右に鬼若亀松(嘉永六丑四月廿七日)、一之森市松(萬延元申八月二日)の両名を刻んだ墓。

 ここから北へ、平等寺の春日神社で相撲板番付を見て、さらに北上、三1303021_img 里の叶堂が見つからない。やっと人を見つけて教えていただき、山あいを入っていく。無住、ここに鵤忠治郎(嘉永五壬子年八月建之 太田氏 角力弟子中)が石仏と並んで建っていた。

 鵤の頭取名は今のところ亀蔵→忠治郎と受け継がれ、明治になって三郷町勢野の半右衛門に受け継がれたようだ。

 ふだん山の中腹まで探しに行かないずさんさを反省する一日だった。石仏・石灯籠などの石造物を調べている方たちはすごいと思う。こういった方たちと連携して行く必要性を痛感した。

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