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2009年9月25日 (金)

しぶらの里

 ひがん花がにょきにょきと咲いている。西山松之助著「しぶらの里 ー宿場町民俗誌ー」の書名はひがん花を西播のごく一部で「しぶら」と呼んでいることからつけられた。西山さんのふるさとは東有年である。この本の中に七夕相撲の話が載っていて訪ねたことがあったが、相撲取りの墓などにはお目にかかれなかった。

 「ふるさと思考」という冊子が有年公民館から毎年出ていて、その二十八(平成10年3月)に「相撲の歴史と二本杉の墓」が載っていて、西有年に墓(明治九年建)があることがわかった。大避神社の絵馬堂に掲げられている明治元年の板番付に勧進元として名が上がっている二本杉茂兵衛ではないかとしている。

 そして、二十九(平成11年3月)に、その後の経過が載っていて、前記の記事を読んだ方方から多くの資料が寄せられたことが記されている。その中にうれしいことに「相撲の史跡」もある。

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コメント

初めまして
突然の書き込み失礼いたします

本日の本文から内容は外れるのですが
知人よりの依頼で江戸時代の力士のことを調べております

岡山の力士で、
・しこ名が鳴釜?萬蔵?
・本名が坂根 真勇
・嘉永6年3月1日没
・玉島に居住していた
・当時かなり有名だったので本名は使わず
 しこ名で通っていた

といったことしかわかりません

ネット上でいろいろ調べてみたのですが
行き当たりません
何かご存じないでしょうか
またどこかに資料はないでしょうか
お忙しいでしょうがよろしくお願いいたします

投稿: 湯浅 哲哉 | 2009年9月25日 (金) 19時22分

コメントありがとうございます。

大坂番付中相撲の天保15年6月に西方三段目20枚目に「尾道 鳴川万蔵」、弘化2年6月 東二段目77枚目で「尾道 鳴釜万蔵」、同3年閏8月西二段目66枚目に「備中 鳴釜万蔵」、同4年5月西二段目34枚目に「備中 鳴釜万蔵」、嘉永3年7月西二段目27枚目に「備中 鳴釜満蔵」で見えます。
 
最初の番付にある鳴川は鳴釜のミスかと思われます。今のところこれくらいしかわかりません。「山陽力士伝」にも「江戸時代相撲名鑑」にも出ていませんが、当然載ってもいい力士かと思います。

墓が玉島にあるのでしょうか。

投稿: 竹ヶ戸 | 2009年9月26日 (土) 10時33分

嘉永3年7月西二段目27枚目のしこ名も満蔵ではなく、萬蔵です。訂正。

投稿: 竹ヶ戸 | 2009年9月26日 (土) 10時37分

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