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2009年10月26日 (月)

鳴釜萬蔵

 「しぶらの里」のところでコメントをいただいた鳴釜萬蔵、『史料集成 江戸時代相撲名鑑』にも「『山陽の相撲史跡』『山陽力士伝』にも名前が出ていないので、正直言って地方力士かなと思いながら大坂番付を見ましたら出ていました。土俵歴はコメントで回答したとおりです。

 実はその前に葛城市相撲館にご子孫の方たちが問い合わせにお出でになっており、墓が浅口市金光町占見にあることがわかり、訪ねてきました。

 泉勝院は山の中にあります。どこから登るか人に尋ねたら、舗装された道ができていて助かりました。が、寺の墓地に発見できず、住職にお聞きして山道を入っていくと墓地が見え、教えられたとおり六地蔵のところを左に上がったところにありました。一族の墓は寄せられていますが、右面に「嘉永六年丑三月朔日 行年四十二才」、左面に「備中占見 坂根五八郎二男萬蔵 長好相撲通称鳴釜在於玉嶋終」とありました。

 若くしてお亡くなりになっており、惜しまれます。

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