« 等伯 若冲、そして鬼面山 | トップページ | 鷲ヶ濱音右衛門の銅像 »

2010年1月 4日 (月)

磯之浦

 今の会社を立ち上げた仲間の内ただ一人残ってしまい、二人の墓がある大津市穴太の共同墓地と宝光寺に参った後、苗鹿の法光寺へ行く。

 法光寺は滋賀県相撲連盟で活躍された善村良中さんが住職だった寺。昭和62年に亡くなった時、葬儀で訪れて以来である。

 『歴史の道調査報告書』が各都道府県教育委員会によってまとめられ、その集成が海路書院から発行されている。その「近畿地方の歴史の道8 西近江路」に、“法光寺 相撲取り墓 本堂左手に所在。文政九(一八二六)年紀と刻銘あるも判読不能。村内他の場所より移転。”とあるので見に行ったわけである。

1313188_img  墓は多くの地蔵や石仏と並んでいた。それぞれ村内にあったものをここに移したのであろう。相撲取りの墓は自然石で、正面に「礒之浦」、背面は不明、文政九年も判読できない。台石は「○○氏」とあるようだ。

 文政九年とすると、当時の京都番付に「礒ノ浦七右衛門」がいるが、墓が小さいので違うと思える。地方相撲の力士か?

 

|

« 等伯 若冲、そして鬼面山 | トップページ | 鷲ヶ濱音右衛門の銅像 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/84424/32854267

この記事へのトラックバック一覧です: 磯之浦:

« 等伯 若冲、そして鬼面山 | トップページ | 鷲ヶ濱音右衛門の銅像 »