« 2010年10月 | トップページ | 2010年12月 »

2010年11月28日 (日)

立川

 尼崎郷土史研究会の朝倉昌夫さんが一月に亡くなったと喪中のお知らせをいただいた。お会いしたことがないが、寺院の中の墓地が調べにくくなったとお便りに書かれていたことがあった。同感。お年が私より三つも上であった。謹んでご冥福をお祈りする。

 『みちしるべ』(尼崎郷土史研究会会報)第17号に「尼崎市内の相撲関係碑」を発表されている中で、未訪のものを見に行く。東園田町1丁目の富田霊園は猪名川の改修で移転したとあり、立川墓がある。明治廿四年一月造立、台石に阪口藤治郎。

 ついでに豊中市原田南二丁目の原田曽根共同墓地に立ち寄ったが、千里川休五郎は見当たらず、新たに無縁墓群に鶴渡源蔵があった。側面などは見えず。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年11月21日 (日)

若ノ花、北葉山、そして、庄之助

 湖沼山さんから最近亡くなった若ノ花、北葉山、庄之助の墓参報告があった。

 若ノ花は自分が建てた西浅草の東京本願寺の墓に、先祖と並んで“土俵の鬼”にふさわしい戒名が刻まれている。

 北葉山は文京区関口の幸国寺瑠璃殿。墓地は整理されているが、綾瀬川山左衛門の墓だけは残されているとのこと。

 28代庄之助は歴代伊之助の墓がある江東区永代の萬徳院。審眼という言葉が戒名に入っている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年11月19日 (金)

熊川

 長崎大学付属図書館の幕末・明治期日本古写真メタデータ・データペースを“相撲”で検索すると、19点、“角力”でプラス1点出てくるが、同じ場面のものもある。

 『龍馬が見た長崎 古写真が語る幕末開港』(朝日選書)には、「1860年の相撲取り」と題して、大関熊川一行の写真が紹介されている。大学のデータベースでは撮影者ミルトン・ミラーとなっているが、本の方はロシェとなっている。この件についてはブログ「みさき道人」をごらんください。

 このブログには相撲取りの墓がしばしば紹介されているが、長崎市川原町にある天保三年 熊川清四郎力士 十一月十九日角力中」の碑の主が関係あるのかもしれないと推察されている。

 下がりを着けたまわし、塩を持った弟子などを見ると、幕末の大坂相撲、肥後出身熊川熊次郎ではないかと思う。、

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年11月16日 (火)

「双葉山の世界」

 双葉山の連勝記録はやぶれなかったが、まだ若いし、再挑戦して欲しい。

 白鵬は双葉山のふるさとを訪ねた折、「双葉山の世界」という地元の人たちが寄稿している本をいただいたが、この本はとてもいい本。

 双葉山の家には三度訪れている。一度目に行った折には、「これでおしまい!」と、双葉山碑の除幕式の写真をいただいた。神官がお祓いをしている場面、柏戸が土俵入りをしている場面、左手に奥さん、出羽海理事長、豊山、知事ら、右手に布津部の人たちが写っている。

 二度目に行ったおり、「双葉山の世界」をいただいた。同級生や近隣の人たちが寄稿しており、九州山と編者との対談には、双葉山の連勝を87!でストップさせたときの掛け軸が載っている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年11月14日 (日)

お不動さんと郷土のちからびとゆかりの地を巡る

 待ちに待った草津市観光物産協会の第33回草津ハイキングは小春日和に恵まれたが、黄砂で比叡も比良もかすんでいた。

 草津市観光ボランティアガイド協会の方からいただいたガイドブックは折りたたんでポケットに収まりやすいように工夫されていてまず感心。

 まず北山田町にある竹川平六の墓、台石の右側面に「右あなむら道」とあるのがわかった。ありがたいことに墓の周りの草を刈り取ってわかりやすくしていただいている。矢橋の浮位野墓地(うぐいのぼち)の七夕九右衛門たちの墓にも花が供えられていて、「花が供えられているということは?」と問いかけると、これも前日にスタッフが用意されていた。

 西光寺さんでは住職からお不動さんのいわれなどお聞かせいただき、「御葩」をいただいた。

 大宮若松神社に御神灯を寄進されている中神琴渓さんの墓は京都にあること、法印柿のこと、そして、瓦にある紋の微妙な違いで年代がわかること、近江の金比羅常夜灯は竹生島を意味していることなどなど、スタッフからいろいろお教えいただいた。

 矢橋帰帆島にある滋賀県立水環境科学館では“九冊八帰帆”さんの落語「鍬形」を拝聴、その熱演ぶりに拍手喝采。帰帆さんはこの館の副館長。ここで昼食、午後一時に花の塔のセラミックファンタジー噴水が見られるように設定されていたのにも感心する。交流館からは板番付なども持ち込まれていた。とんとん紙相撲のお土産もいただいた。

 スタッフのひとりYさんから野々花霊園にある荒寅末吉の見えない部分を調べた結果をお聞きした。きょう訪ねてきた竹川平六の墓、冷水佐助の建てた道標もYさんから交流館に伝わったものと推察できた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年11月 9日 (火)

旧揖保川町、御津町を歩く

 JR西日本では関西1デイパスという一日乗り放題のチケットが春と秋に出る。2900円で京都からだと明石以西が割安となる。播磨へはいつもこの切符を利用する。

 竜野駅から正條宿を通って南下、山裾に多くの墓を見てここにはきっとあると直感、右端へ。三基並んでいた。蔦が絡んでいるのを取り除く。左から若嶋島之助(明治三庚午十月十日卒、門人中)、菊ヶ濱常七(明治十六年癸子一月廿日卒、明治二十一年子十一月廿六日建之、門人中)、今津潟甚助(明治二十四年十二月九日 釈其淨、明治三十二年五月建、有志者)。

 揖保川沿いに南下。御津町中島の揖保石見神社に力石三個、説明板もある。拝殿に掲げられている板番付は全く見えず。宿禰と蹴速の相撲図は新しく描かれたもの。

 山王墓地に相生亀五郎、松緑松五郎の二人を刻んだ墓。安政二年乙卯正月五日、台石に世話人相生義助。

 刈屋の墓地に大きな自然石の早虎墓。背面に力士太良右衛門云々とあり、明治十六年五月廿六日 年六十五卒、明治四十二年二月建之などとある。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年11月 1日 (月)

「生誕100年特別展 白州正子」

 雨、予定を変更して、滋賀県立近代美術館へ行く。生誕100年特別展『白州正子 「神と仏、自然への祈り」』は展示の方法がすばらしかった。

 それぞれの解説は白州正子の著作物のその部分が原稿用紙に印字されており、しかも大きくて読みやすく、楽しい。また、西国三十三ヶ所の旅に出て、近江の山の上から新幹線が颯爽と走りすぎるのを見て、優越感にひたったものだ。おまえさんはすぐ古くなるだろうが、こっちは千数百年を生きた巡礼をしているんだ、ざまぁ見ろ、と叫ぶ画面も流れる。

 ふだんお目にかかりにくいものが出品されている。焼けただれた神像や仏像もある。図録も一冊のものではなく、それぞれの分野ごとにケースに入れられていて、見やすい。

 御上神社の相撲人形は滋賀県では出品されていないが、愛媛県美術館(2011年1月29日~3月6日)、世田谷美術館(2011年3月19日~5月8日)には展示される。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2010年10月 | トップページ | 2010年12月 »