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2011年3月21日 (月)

もう一つの歌ヶ濱が建てた男體山碑

 先に歌ヶ濱が建てているもう一つの男體山碑を東武の樅山駅近くで見たと記したが、『鹿沼の近世石造物Ⅰ』(平成19年3月)によると、「下材木町」とあるので、JRの鹿沼駅から生子神社に向かって歩いているときに見たようだ。急いでいてメモを取らなかった。

 正面「男體山 願主歌ヶ濱斧吉」、背面上部に「文政十二年 丑六月吉日」、下部に「鹿沼 世話人 同処田町、同仲町、同久保町、日光、同処下材木町(人名略)」とある。法量148×68。(『鹿沼の近世石造物Ⅰ』)。

 この時37才、もう江戸相撲には出ていない。日枝神社にあるのは天保六年なので43才。文政六年の上覧相撲名前書にある玉多村は現鹿沼市玉田町。仲町、久保町、下材木町も近辺に現存する(田町は上田町、中田町、下田町のことと思える)。

  

 

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