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2011年4月22日 (金)

山田川政吉の碑

 『岩美町誌』(昭和43年発行)に伝説の項があり、“山田川政吉の碑”として、「浜道を通って七坂八坂にかかろうとする箇所にあり、山田川政吉と刻まれている。(中略)この山田川の同輩は明治元年西園寺公望が山陰鎮撫使として來鳥した時、鎮撫使の旗持ちをして歩いたということだから、幕末~明治にかけて活躍した人であろう。」そして、八頭出身の山の上甚八という相撲取りに毒殺されたという伝聞が記されている。

 『新編 岩美町誌 下巻』(平成18年発行)の第4節 相撲の項には「陸上の旧道に山田川政吉の塚もあって、政吉は山陰道鎮撫使が蒲生峠越えで鳥取・松江と向かった時、旗持ちをしたと伝えられる力士である。」以下、町内の力士塚が紹介されている。

 『歴史の道調査報告書』の‘山陰道 但馬往来・伯耆往来’にも山田川政吉碑が海岸沿い 嵐ヶ浜海水浴場の上にあると記されている。

 この碑を見つけることはできなかった。若い人や女性たちに聞いても知らなかった。やっと年配の男性に会って在りかを教えてもらったが、今は木や草が覆って見えなくなっているという。とても大きなものだったともいわれ、見たさに危険を顧みず、岩場を慎重に歩く。以前は遊歩道があったようだが、崩れている。鳥取地震の影響だろうか。波がしょっちゅう打ち寄せてくる。残念ながら退却せざるを得なかった。

 山田川政吉は岩倉具視に従って東山道へ向かったメンバー26名の中に名があり、山陰道ではない。山陰道へは華ノ峰善吉ら6名が西園寺公望に随行している。

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