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2011年5月29日 (日)

須影出身の武蔵川大治郎

 昨年の10月3日「media jam』で、「郷土・羽生に江戸の力士7代目武蔵川の墓碑 寺院跡で発見」と市の文化財保護委員の調査が報じられた。

 『相撲』の「年寄名跡の代々 武蔵川代々の巻」('91年5月号)は既にこの墓を調べて記述している。

 ことしの5月24日「まにちゃんの歴史話」と題したブログが4回にわたって「7代目武蔵川大治郎墓碑の発見」と題して、詳細に記している。

 そこには墓碑の正面、右面、左面の刻字が載っている。墓は亡くなって4年目の盆に建てられている。そして、「江戸下谷柳之稲荷大乗寺(ママ)有之」とある。本墓は大乗院で、後に郷里にも供養墓を建てていることがわかる。

 そして、願主が荒潮斧治郎、武蔵川大治郎となっている。これは息子兄弟と思われる。嘉永5年の『相撲今人金剛傳』の「年寄連名」は武蔵川大治郎を「故武蔵川忰」と記している。兄は郷里での親方、弟が江戸の親方になったものと推察する。「動岩荒潮信士」という墓石もあるようだが、これが荒潮斧治郎ではないか。

 大橋初五郎は武蔵川を継いでないものと思う。養子になったとしても「忰」と記さず、しこ名を記すであろう。

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2011年5月25日 (水)

バリアフリー上映「おとうと」

 同志社大学で映画「おとうと」を見る。京都リップルの協力でバリアフリー上映。

 目や耳に障害のある人にも楽しんでもらうために場面の様子や登場人物の表情を副音声や日本語の字幕をつけて映画を見せる。

 わたしは左耳の聴力を失っている。目も物が二重に見える。

 ずっと涙を流しつづけながら見ていた。まわりにも目頭をぬぐっている人が多かった。

 

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2011年5月24日 (火)

谷風倒れず

 毎日jpの5月14日付は「名横綱・谷風の墓石踏みとどまる」と報じている。墓石は土台から外れて45°回転、松の枝に食い込んで倒れなかった。

 やっぱり横綱なんだ、と話題に。市の文化財課は「松が墓石に接触しないように引き離す工事を予定しようとしていた」という。

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2011年5月23日 (月)

新番付は?

 場所が終わると次場所の番付予想が好角家の楽しみ。

 ざっと見てみて、幕内下位の6勝や7勝は残りそう。十枚目の勝ち越しのほとんどが昇進しそうだが、一気に定員?を埋めなくてもよさそうに思う。

 城ノ龍や剣武も下位にとどまるか? 幕下の千代国、浜錦あたりにもチャンス。

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2011年5月20日 (金)

隆の山おめでとう

 日経でも勝負の写真入りで隆の山の勝ち越し、関取確定を報じていた。スポーツ紙でもないのに幕下以下をこのように扱うのは珍しい。

 小さい小さい隆の山おめでとう。古市とはまた違った小兵の楽しい相撲を頼みます。

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2011年5月19日 (木)

非公開場所

 5月17日付の毎日新聞に、相撲のことが載っていたと会社の人に見せてもらった。「火論」に玉木研二さんが“66年前の両国の風”と題して、昭和45年6月に開かれた非公開場所について、今の技倆審査場所とは比較するのは難しいけれど、なにか涙が浮かぶほどの熱戦も見られ、土俵上の取組を絶やすまいとする共通点を感じる、と述べている。同感。

 帰ってから記事の冒頭にある「相撲」誌増刊:戦後相撲十年史(1956年)を取り出して眺める。なつかしい、二枚蹴り、吊り出し、昔?の相撲はおもしろかった。

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2011年5月15日 (日)

続ネット観戦

 序の口から見るというのは久しいので、なんだか楽しい、八百長騒ぎでのプレゼント。

 行司木村豊彦のノコッタの掛け声はデター、デターと聞こえる。残ってなくて、出たの!?

 朝一番の取組の審判はそれだけで仕事は終わり、他の組は二回り。きょうゲストの錣山親方の発言で、取組表を改めてみると、なるほど初日から八日目までそのとおりになっている。

 十枚目の位置的に考えても合わせるはずのない佐田の海が幕内で相撲を取った。十枚目の境川部屋は四人、どうしても幕内か幕下力士と合わせないと十五番の取組が成り立たない、とこれも錣山さんの解説で気がついた。

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2011年5月 9日 (月)

NHK「写楽 ~天才絵師の正体を追う~」

 昨夜、NHKテレビ番組「浮世絵ミステリー 写楽 ~天才絵師の正体を追う~」はおもしろかった。

 いろんな人たちが推理している写楽の正体、ギリシャのアジア美術館所蔵の肉筆画が決め手となって、文献に出てくる阿波藩抱えの能役者斎藤十郎兵衛にまずまちがいないとの結論、その過程になるほどと納得。

 徳島にある写楽の墓へ二、三回行ったことがあるが、江戸の法光寺は越谷市に移転、過去帳の文政三年三月七日に記載がある由。

 東博で開催中の「写楽展」は震災の影響で、4月5日から5月15日までの予定が5月1日から6月12日(日)に変更されている。写楽の肉筆画はかつて江戸博で出品された。

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2011年5月 8日 (日)

初日ネット観戦

 序の口から結びまで八時間半、あらかじめメールでいただいていた取組表を見ながらネット観戦を楽しんだ。

 大小林はダイショウリン、華吹はハナカゼと読むのか、などなど最近は下位の力士のしこ名の読みまで無関心でいたけれど、再認識。

 ありゃ、丸坊主のお相撲さん、どうしたんだろう?

 阿武山、隼、大翔藤、森麗、琴大龍、嵐望、旭光、善富士、春日龍、そして日馬富士、×印を附けた力士。これからの相撲がんばれ。

 十枚目からの取組は石橋元NHKアナの実況で、きょうは清見潟(十枚目)と出羽海(幕内)の解説つき、女性のゲストもいた。

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2011年5月 1日 (日)

『河内長野市 郷土研究会誌』第五十三号

 『河内長野市 郷土研究会誌』第五十三号をいただいた。いつもながら会員の人たちの研究ぶりには感心させられる。

 「河内長野市に残る城塞跡」は文献と実地に歩いて復元図などを作成されている。

 「河南鉄道線路案内」「楠氏遺跡録」には明治の珍しい写真や文献が紹介されている。

 「髪結床仲間の訴え」には髪結いが十手などを所持していたという史料の考察。貴重。

 その他、「地蔵の辻にある瓦の佛像」、「甲田地車と錦織神社」、「鬼住村研究」、「菊水台監視哨の再考」などなど。

 9月26日ラブリーホールで文楽「仮名手本忠臣蔵」鑑賞会が催されるが、それに関連して「河内長野と文楽特別展」が催される。金剛寺には吉良義央の礼状5通があり、赤垣(赤埴)源三の叔父は西代藩に仕えていた、など河内長野と忠臣蔵の関係は深い。

 今年は「市内自治会所蔵資料の現況について」調査中で、相撲に関する資料も確認しているとのこと、楽しみです。

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