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2011年7月31日 (日)

史料に見る諭鶴羽峰右衛門

 徳島県立文書館に文化十三丙子年閏八月下旬徳島で諭鶴羽峯右衛門が催した番付がある。東に真鶴政吉、鳴滝忠五郎、高砂浦右衛門ら、西に柏戸利助、立神盤右衛門、鏡岩濱之助ら。

 これは死亡する前年で、桐山でなく諭鶴羽で興行を催している。一時江戸の年寄名跡桐山を襲名したものの、甥に「おまえにユズルハ」と言って、阿波で弟子達を養成していたものであろう。

 当時は雷電為右衛門にしろ自分で弟子を養成しているものが多く、江戸年寄には二段目、三段目にいるものが継ぐことが多い。この二段目以下もれっきとした上取りであって、今の番付と同じように考えないで欲しい。

 十四年七月十六日死去。徳島市二軒屋にある墓には「諭鶴羽 市川峯右衛門」とあり、台石に「岩勝文蔵、二ッ引松之助」ら九人が刻まれている。

 

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