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2011年8月 4日 (木)

史料に見る雷電為右衛門 その2

 ネットオークションに「西方大関雷電為右衛門、関脇柏戸勘太夫、小結武蔵野幸内……」とある番付が出たことがある。

 武蔵野は寛政二年三月から戸田川と改名するので、それ以前の興行である。林野町とあるので、現在の美作市。『諸国相撲控帳』の寛政元年の項には「八月朔日に大坂表出立、御国表に同六日着」とあるので、途中興行していたとは考えにくい。

 六月に鰍沢で興行したことは『諸国相撲控帳』に記されており、その時の番付と一行のメンバーはよく似ている。鰍沢のは「雷電為五郎」とあり、最初は為五郎なのではという意見があるが、これは書き手が誤ったものと思われる。

 林野町の番付に「頭取 大和川喜八郎」が載っている。『相撲趣味』第18号に荒木英信さんが「雲州相撲頭取」を寄稿されおり、“御崎川太市は雷電を担当するため頭取になったようなもので、(中略)大和川から預かった白鹿山、……”と書かれており、雷電為右衛門も最初は大和川が面倒を見ていたものと思う(寛政期の他の番付は大和川喜八となっていて、喜八郎も書き誤りと思われる)。

 番付などは書き誤りも多いので、必ずしも改名とはいえないものがあるので、注意を要する。

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