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2012年1月29日 (日)

若柳繁松

 天保10年二条河原で京都相撲の興行に出場した後、郷里西院春日社で勧進元をつとめた若柳繁松はこの時22歳の若さである。

 同12年にも西院での興行に勧進元を勤めている。この時は京出身の先輩緋縅力弥の前名である錦を襲名、文字通り郷里に錦を飾ったことであろう。平戸藩抱えで、幼い時から殿にもかわいがられていたフシもある。

 正面:松巌龍雲男士、左面:三代目錦竜太郎塚と刻まれた墓は新しく建て替えられて今はない。

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2012年1月24日 (火)

相撲史跡研究会の振替口座解約

 大阪貯金事務センターから「相撲史跡研究会」の郵便振替口座は長らく使用されていないのでと打診があり、解約に応じることにいたしました。

 郵便振替01060-5-23624はご利用できなくなりましたので、御承知おきください。

 「相撲の史跡」は“4(東北編)”のみ15冊在庫がありますが、震災で被害を受けられた地区の図書館等にお送りしようと思っています。

 相撲史跡研究会のメンバーは4人、久しぶりに揃って会おうではないかと昨年壬午山さんが発案、三河國さん、湖沼山さんともども震災の影響もあって、日程を調整、今秋には東京で墓巡りが実現する予定です。

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2012年1月23日 (月)

松戸にある相撲関係の墓

 湖沼山さんから松戸市にある相撲関係の墓に参ってきたとの報告が届いた。

 松戸霊苑にある琴桜の墓は左に「忍」、右に横綱土俵入りの彫像がある。隆の里も部屋の関係でここになるのではと推測している。

 八柱霊園には、読売大相撲の「諸国相撲帳」でお世話になった江馬盛さん、元力士で大谷重工業を設立した大谷米太郎(鷲尾嶽)さん、大八洲関、輝昇関、そして、相撲絵収集家で、昨年亡くなった富村重夫さんの墓がある。

 わたしも今一度お参りに行きたいと思っている。

 

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2012年1月19日 (木)

西院春日社の相撲

 西院春日社の相撲番付のことが氏子の方のお目にとまり、神社にもお知らせいただいた由、何分古書目録に載っていて見にくいので、大きくしてから神社にお届けします。今しばらく時間をください。

 この相撲は天保十年八月で、若柳繁松が勧進元を勤めています。若柳は西院村出身で、後に錦竜太郎を襲名しましたが、惜しいかな嘉永六年正月二十七日に現役で亡くなりました。西院の高山寺にお墓があります。

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2012年1月16日 (月)

唐招提寺勧進相撲

 昨年末に剛田さんからメールに添付して、新春には三河國さんから書簡で、古書目録の相撲の部分が送られてきた。

 文政8年~明治30年頃、計二百四枚、3,675,000円。江戸、大坂、京、伊勢、大津、愛知、信州などあり、番付、勝負付、よく集めたものだと感心する。ちょっと手が出ない。

 京都西院春日社での番付は初めて見る。南都唐招提寺の御免勧進相撲は同じ律宗の壬生寺で天保15年に行われたもの。天保4年に西室、開山堂が落雷で焼け落ちたが、その関連での興行か?

 寅林改響灘五郎吉など載っているし(『江戸時代相撲名鑑』には、元虎林五郎吉(不詳)とある)、京近辺の力士が多数名を連ねている貴重な資料。実物を持っていたが壬生寺に納めて、コピーが手元にある。

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2012年1月15日 (日)

一月場所八日目ネット観戦

 注目の佐久間山、寺下にもろ差しを許し、再三寄られたがよくこらえ、小手投げに下す。同部屋の吐合も突き立て琴国を土俵際に追い詰め寄り切る。

 明日は吐合が千代鳳、佐久間山が千代皇と北湖対九重の一戦となる。

 隆乃山の蹴手繰りみごと、北磻磨と双大龍のめまぐるしい動きも楽しい相撲だった。

 テレビがないので女子の都道府県対抗駅伝は見ていないが、取引先の印刷会社社長の高校二年の娘さんが5区で区間賞を取っていた。お見事! 先の高校駅伝ではアンカーをつとめていた。

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2012年1月14日 (土)

一月場所七日目ネット観戦

 今場所二度目のネット観戦。小兵力山、琴翼、突っ張りがいい力士たちが4勝目。翔尾円も低い攻めで全勝。

 もう三人しかいない京都府出身力士の一人、長身の一心龍は立合飛ばれたがよく見て、寄り倒し全勝。

 明月院改千代大龍、楽しみな力士、元気に7勝目。雅山のがんばりも目立つ。

 

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2012年1月 9日 (月)

しこ名の中の‘龍’

 例年、橿原考古学研究所で催されている「十二支の考古学」の講演会を拝聴し、展示を附属博物館で見てきました。

 龍が描かれた土器は1世紀後半ごろに登場、金具などには5世紀ごろに見られるということです。

 この架空の動物、今場所のしこ名では十二支の中では他を圧倒、48人もいます。他には虎が5、馬が4、意味的にはどうかと思いますが鳥、子が各1です。

 龍昇となりましょうか。

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2012年1月 8日 (日)

一月場所初日ネット観戦

 一月場所初日ネット観戦。

 序二段天海山改天海山とある番付、協会のHP改名一覧にも載っていない???。やっと気づいた。毎の部分の点々がノになったんだ。

 玉東陵は小兵だが、突き、押しがしっかりしている。

 蘇も小兵、頭捻りみごと。富栄も小兵、もろ差し一気の寄りが光る。

 巨漢藤嵐の突っ張りもみごと。暁も徹底的に突っ張った。

 小兵大原はよく動き攻め込んだが、大きい剛力を下せず。琴欣旺と大河の大型同士は長い相撲の末、琴が寄り切る。

 若龍勢は腰がいい。

 長身の達は寄ったが、若春日に突き落とされる。腰がよくない。

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2012年1月 7日 (土)

三郷町を歩く

 ブランド共和国大統領から「一月二日に三郷町の薬隆寺八幡神社に行ってきたが、神社は閉じられたままで板番付を観ることができなかった」旨の書簡が届いた。

 実はわたしも三日に訪ねたが、観ることができなかった。正月三が日はどなたかが詰めておられると思ったのだが、残念ながら日を改めることとなった。10月25日が例大祭、元旦、そして奇数月第一日曜の朝9時からも祭礼が行われているようなので、その日に再訪しようと思っている。

 絵馬はネットの「民俗学・伝承・講義・講演・古墳 他・乱鳥の書きなぐり」で知った。明治二年地元の鵤半右衛門が勧進元を勤めたもので、陣幕・梅ヶ谷・八陣などの名がある。

 下庄の小山墓地に行ったが力士墓は見いだせず、竜田大社へ向かう道脇で松永久秀(弾正)の供養塔に出会った。信貴山に城を構えていた、文化人でもある。

 竜田大社は干支に縁があって車の列、たいへんな人、人。地図に墓地の印がある処へ向かうとそこは「竜の子墓苑」とあった。ここの無縁墓群からも力士墓は見つからず。

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2012年1月 5日 (木)

三右衛門日記 その3

 幕末の世相もそのはげしい移りが書き留められていて一級史料といえる。

 相撲の方は文久2年8月粂川新右衛門、朝日嶽鶴之助一行、翌3年2月にも粂川新右衛門一行が興行している。金壱分粂川と虎象谷寅蔵に、金弐朱を二子山為右衛門に遣わすとある(虎象谷は虎家谷実蔵の読み取りミスと思える)。

 この当時粂川一行は上州を盛んに訪れているようである。『群馬風土記』通巻9号(平成元年4月)には「力士も通った沼田街道」と題して奈良部清満さんが慶應元年十一月の「御触写」を紹介している。宿々 問屋に宛てたもので、年寄は粂川、二子山、立山、君ヶ濱、振り分。力士は白真弓、綾浪、梁瀬嶽、靏ヶ滝、足代山、靏ヶ関、大湊、戸上山、待乳山、三笠山、岩ヶ根、留に七ヶ根の名がある。

 慶應3年8月17日からは高崎新町で常盤山、平石、鬼面山一行が興行。木戸五百四十八文、子ども三百四十八文とある。

 

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2012年1月 4日 (水)

三右衛門日記 その2

 萬延元年四月には境川、雲龍一行が五日間の興行、この当時桟敷は坪金壱分からいろいろあったようで、木戸銭は百三拾弐文(安政)の記述もある。

 立之森多吉という相撲取りが囚人に会いたいと申し出て、大勢で多吉を取り押さえたとか、角力浪人喜太郎が村地内に入ったので召し捕りの儀に、本人が抗議の文書を提出していること、相撲浪人剱崎喜三郎が賭博渡世にて悪党共を引き連れ歩行押借いたし、同人相撲の事故人々恐れを成しなどと関東御取締御出役に訴えている文書などもある。

 文久二年二月、駒ヶ嶽・綾浪一行七十人ばかりの興行、木戸銭百文、子供四十八文。喜見山に弐朱の花が渡されている。喜見山政吉は当時三段目にいるが、なぜに彼に花が渡されたのか、土俵歴は短いが後に花籠を襲名したりする人物でもあり、興味がわく記述である。

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2012年1月 3日 (火)

三右衛門日記 その1

 『玉村町誌』別巻Ⅳ~Ⅷに、「三右衛門日記」が収録されている。村総代渡辺三右衛門の「御用私用年中諸日記」天保13年12月28日から明治2年10月18日までの厖大な記述で、相撲のことも見える。

 玉村町は北は前橋市、東は高崎市、西は伊勢崎市、南は藤岡市や埼玉県に接し、“龍の玉”の傳説に因んでつけられた町である。

 編集後記に大前田英五郎の子孫から御用木も相撲取りのしこ名ですよと教わったなどともあり、侠客や力士の名前も登場する。

 天保十三年四月角力見物に出かけ、「玉垣額之助門弟荒縄五助其他五六人に近付ニ成ル」 

 嘉永元年八月朔日「利根川向、植野村桐之海久藏殿より荒口村同月四日より晴天四日之間(相)撲有之旨、手紙并番付ヲ被送候、実ハ御用木ニ友綱 勧進元桐之海久藏也」

 嘉永期には神田川瀧蔵が手拭を持って興行のあいさつにしばしば登場してくる。武蔵川、武蔵野の名も出てくる。

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2012年1月 2日 (月)

綾川五郎次と墨絵の龍

 大正五年三月八日の京都日出新聞は「京都綾川会は六日午後三時祇園八坂神社に於いて綾川五郎次に化粧廻しを贈った。博多白地に加藤英舟描く墨絵の龍で、上品な美しさの出来栄えであった。」と報じています。

 五月に京都で行われた場所には連日綾川会のアヤカワと記した三角旗を振っての声援を受け、同志社で相撲道について講演をしたりしています。

 手元にある『記録 京二中角力部』にも大正九年綾川を招いて指導を受けたことが記録されています。

 加藤英舟は明治6年名古屋生まれ。幸野楳嶺、岸竹堂、さらに竹内栖鳳の弟子となり、帝展の委員などをつとめています。昭和14年歿。

 墨絵の龍(軸)は我が家にもあります。

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2012年1月 1日 (日)

絵暦の中の相撲

 新しい年となりました。昨年のような大きな災害、本場所中止などのない年でありたいと願っています。

 今年は壬辰ですが、『江戸の絵暦』(岡田芳郎著 2006年 大修館書店発行)に、「相撲①、②」の項があり、天明四年甲辰の「東大関鷲ヶ濱と西小結宮城野」「大関谷風」「小野川 谷風の割」が掲載されています。

 この年、大が正、二、四、六、七、九、十一月、小が閏正、三、五、八、十、十二月でした。巧く考えて作られています。

 明和八辛卯、享和四年甲子、文化二乙丑、弘化三丙午なども載っています。

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