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2012年1月 5日 (木)

三右衛門日記 その3

 幕末の世相もそのはげしい移りが書き留められていて一級史料といえる。

 相撲の方は文久2年8月粂川新右衛門、朝日嶽鶴之助一行、翌3年2月にも粂川新右衛門一行が興行している。金壱分粂川と虎象谷寅蔵に、金弐朱を二子山為右衛門に遣わすとある(虎象谷は虎家谷実蔵の読み取りミスと思える)。

 この当時粂川一行は上州を盛んに訪れているようである。『群馬風土記』通巻9号(平成元年4月)には「力士も通った沼田街道」と題して奈良部清満さんが慶應元年十一月の「御触写」を紹介している。宿々 問屋に宛てたもので、年寄は粂川、二子山、立山、君ヶ濱、振り分。力士は白真弓、綾浪、梁瀬嶽、靏ヶ滝、足代山、靏ヶ関、大湊、戸上山、待乳山、三笠山、岩ヶ根、留に七ヶ根の名がある。

 慶應3年8月17日からは高崎新町で常盤山、平石、鬼面山一行が興行。木戸五百四十八文、子ども三百四十八文とある。

 

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