« 三右衛門日記 その1 | トップページ | 三右衛門日記 その3 »

2012年1月 4日 (水)

三右衛門日記 その2

 萬延元年四月には境川、雲龍一行が五日間の興行、この当時桟敷は坪金壱分からいろいろあったようで、木戸銭は百三拾弐文(安政)の記述もある。

 立之森多吉という相撲取りが囚人に会いたいと申し出て、大勢で多吉を取り押さえたとか、角力浪人喜太郎が村地内に入ったので召し捕りの儀に、本人が抗議の文書を提出していること、相撲浪人剱崎喜三郎が賭博渡世にて悪党共を引き連れ歩行押借いたし、同人相撲の事故人々恐れを成しなどと関東御取締御出役に訴えている文書などもある。

 文久二年二月、駒ヶ嶽・綾浪一行七十人ばかりの興行、木戸銭百文、子供四十八文。喜見山に弐朱の花が渡されている。喜見山政吉は当時三段目にいるが、なぜに彼に花が渡されたのか、土俵歴は短いが後に花籠を襲名したりする人物でもあり、興味がわく記述である。

|

« 三右衛門日記 その1 | トップページ | 三右衛門日記 その3 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/84424/43614584

この記事へのトラックバック一覧です: 三右衛門日記 その2:

« 三右衛門日記 その1 | トップページ | 三右衛門日記 その3 »