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2012年6月17日 (日)

揚羽空右衛門の苦難を救おうとする大庄屋たち

 『寛政三年~文政五年 久留米藩大庄屋会議録』を見る。

 享和三年九月に九龍山名開相撲を見物した折、酒肴、東都の土産扇子など頂き、九龍山へ金三両代弐拾壱〆文、頭取日ノ出山へ壱〆七百五拾文、柏戸へ壱〆七百五拾文、都合弐拾四〆五百文、七ツ割にして一与三〆五百文ツツ、差し出すことになった、とあり、六人(一名欠座)が署名している。

 文化四年五月、揚羽空右衛門から口上書をもって歎願があり、先年の相撲で三百六十〆文ほど不足、上方相撲催して、またまた二百貫文ほど損失したという、家屋敷まで流れに相成らないよう頼母子講など吟味してはどうかなどとしている。

 

 

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