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2012年10月14日 (日)

唐津へ

 深江の鎮懐石八幡宮には珍しい碑石があり、もう読めなくなっていることもあって、摺ったものを社務所で用意されていた。大入から吉井へ、そして我がしこ名にゆかり?の竹戸遺跡へ。もう6時前、6時間懸命に快調に歩き通した。福吉駅から列車で唐津へ。

 11日、図書館は10時からなので、唐津の町を散策。近松寺から唐津神社へ、曳山展示場、河村美術館などまだ開いてない。子どもから大人まで行き交う人々みんな「おはようございます」のあいさつ。

 そして、鰭ノ山浦右衛門(養福寺)、松浦岩沖右衛門(松雲寺)の墓へ。

 10時唐津近代図書館へ。郷土史誌「末廬国 57号」と玉手箱さんが史料にあげている「伊万里市の碑文」を出してもらう。

 「末廬国 57号」には満島出身の千田川。10号には領巾山、簑島、鷲ヶ濱、松浦岩。79号には鎮西町の草相撲力士規定。109号には玉ヶ橋谷五郎。119と120号には唐津の相撲の歴史が載っている。57号以外は後藤為義さんからいただいている。

 「伊万里市の碑文」には相撲取締壽記念碑が載っていて、角力を好み小嵐と名乗り、幾多の名誉職を経て、相撲頭取にも選ばれたなどと刻まれている。大阪の枝川部屋と関係があり、碑は黒川町(明治36年建)にある。

 未見の市町村史すべてに目を通す。新たな発見はなし。

 博多駅で乗り換える際、十一月場所のポスターが目につく。新横綱ではない。なつかしい、いいポスター。新しく建てられたこの人の碑と両親のお墓に行く予定も立てている。

 

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