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2012年12月14日 (金)

双葉の里から大山安蔵碣へ

 中津から天津へ、そして双葉の里に着く。「超六十連勝力士碑」の刻文をメモ、開館は9時なので、それまでに双葉山の御先祖の墓にお参りしてこようと準備をしていた人たちに聞くと、墓は東京に持って行かれたとの由。

 すぐ裏手の墓地へ行く。なんと広いことか、穐吉家之墓が目立つ。9時になったので隣にある郵便局へ、双葉山さん関係の切手ありますかと尋ねたら、あった。変形のハガキもあった。買い占める。

 展示を見ていたら、観光バスが着いてたくさんの人。わたしは退散、10時過ぎの列車に乗るために駅までひたすら歩く。

 豊前松江で下車。駅のすぐそばに熊ヶ嶽碑がある。既に見ているので通過、滝ノ本から国道、日豊本線を渡ってしばらく行った所に「一之盛武八墓」(明治十有六年未四月建之)がある。自然石で大きい。台石に世話人の名がたくさん刻まれている。

 上り松から南へ、ハイウエイに沿って西へ、そして小原へ。正八幡宮の鳥居、向かって左に自然石で「東京相撲年寄 大山安蔵碣」が建っている。『相撲』誌の門脇さんからあらかじめご教示をいただいていたもので、“碑”でなく“碣”と刻まれているのが気に入っている。漢和辞典には方形のものを碑、円形または長円形を碣という、とある。明治三十四年九月の建立で、台石に世話人として、43人?位の名があり、最後に野正礒平と判読できる。背面にも刻字がある由だが、暗くて読み取れない。

 境内には土俵がある。8月14日に子供相撲を奉納している由。

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