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2013年3月29日 (金)

「相撲の史跡」のミス

 『吉川町史』第二巻(平成八年刊)に、小苗代出身の高浜松之助、縄張綱右衛門、外ヶ濱浪五郎、相見山留吉が紹介されているが、『相撲の史跡2』で、外ヶ濱の出身地を誤っていることに触れて、相撲研究家たちに混乱を招いてきたようである、と記されている。

 『相撲細見記』の「首城郡片町の産」にこだわって片町を捜し、「東頸城郡川原村片町」と記しており、たいへん恥ずかしいことである。だいたい小さな町名を届けていることはなく、文字名にこだわらず、同音で大きな潟町を取り上げ、できれば実証すべきであったろう。深く反省したい。

 越後高田で亡くなった玉の海榮吉についても記述がある。『相撲の史跡5』で、泉佐野市上之郷にある玉の海の墓を調べているとき、子孫とばったり、高田の巡業先で亡くなった旨の話を聞き、大和高田と記したが、越後高田であった。同市の最賢寺にある相見山と磯風が建てた墓にも既に参りに行っている。

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