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2013年10月15日 (火)

三河國さんと響灘(名古山)、陣幕(宝殿)

 三河國さんに響灘立吉の墓を見ていただいて、但馬のご子孫にもお知らせしてもらおうとお頼みし、姫路市の名古山霊苑で確認していただいた。

 前に見ているはずであるが、手間取った。事務所で霊苑の地図をいただき、無縁塔にたどり着いたものの苦戦。廣ノ海富五郎は前にある小さい墓石を何とか動かせたが、左面の碑文はすべてが見られず、響灘は前にある戦死者の墓が固定してあってどうにもならない。この二人は同じ石質で、ほぼ同じ大きさ、多分いっしょの寺にあったのではなかろうか。

 三河國さんは力士絵を用意してさかんにカメラに納められていた。

 石の宝殿に移動、社務所で壁に陣幕とあった家は無くなっていると聞く。南へ歩いて、三河國さんが訪ねた家がご子孫宅であった。ここでも力士絵を用意されていていろいろ説明される。

 道路を広げるなどで陣幕とあった建物は解体せざるを得なくなったとか、瓦などは保管されている。墓は従来通り八基並んで建っていた。

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