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2013年11月 6日 (水)

岩鶴岩吉の美談

 明治16年3月17日付大阪朝日新聞に師のために義を尽くした美談が載っている。河内国八上郡金田村の岩鶴岩吉が師で同村の都石久吉の墓碑を同村の観音寺に建て、感動した同村の有志が木戸無銭の追善相撲を催したという。

 堺市金岡町にある観音寺を訪ねる。寺には幼稚園があり、古い墓石が集められていたが都石の墓は見あたらなかった。

 都石は慶應二年ころから中相撲に堺頭書で見え、明治四年から前頭、八年限り。その八年六月に西六段目に河内頭書で岩鶴岩吉の名が出てくる。

 土師町のニホンザイ古墳の東にある百舌鳥共同墓地に行く。平成六年に整備されたようで、以前見ている姿と一変している。「相撲の史跡5」には高見山と大碇のみ載せているが、大泉熊五郎(明治二己年八月廿五日 高野姓)、取締高之矢(大正六年四月三日建之 本名高岸留吉)、土佐駒(吉田茂吉 門弟中 昭和十年十月建)、無縁墓群に積まれた荒浪などもあることがわかった。

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